ひでしま ふみか

秀島 史香

神奈川県茅ヶ崎市出身。

慶應義塾大学法学部政治学科卒。
2016年~1年間ベルギーに滞在後、2017年春に帰国。
2017年初めての著書「いい空気を一瞬でつくる 誰とでも会話がはずむ42の法則」(朝日新聞出版)を上梓。
2022年5月「なぜか聴きたくなる人の話し方」を刊行。

FM局のDJTV・CMのナレーション、絵本の読み聞かせ、通訳や字幕翻訳、コラムや音楽レビューといった執筆活動などで活躍中。

趣味は旅行、世界の空港・路地裏・美術館めぐり。

現在、FMヨコハマ「SHONAN by the Sea」、J-WAVE「LETTERS TO YOUR PRECIOUS」、NHKラジオ「キクコトノミライ」、テレビ東京「昼めし旅」「二軒目どうする?~ツマミのハナシ~」などに出演中。

【受賞歴】
2019年 文化庁芸術祭 放送個人賞 ニッポン放送 「文豪ROCK!~眠らせない読み聴かせ 宮沢賢治編」(2019年下期放送)
2019年 日本民間放送連盟賞 ラジオエンターテインメント番組部門最優秀賞 Fm yokohama 「あの小説の中で集まろう」(2018年度下期放送)
第49回 ギャラクシー賞 (放送批評懇談会主催)ラジオ部門 選奨賞 J-WAVE J-WAVE SPECIAL Vermeer, 37STORIES~光の王国」(2012.1/9放送)

FM BIRD

ブログ
@hideshimafumika

【1】

◼️…ラジオの仕事をしたいと思ったのはいつ頃でしょうか?

大学生の時です。

通訳のアルバイトをしている時にお世話になった通訳事務所の方が
歌番組や情報番組など芸能関係の通訳もなさっていて、現場の話をいろいろ教えてくれました。
秀島さんも英語ができて音楽も好きだったらオーディションを受けてみたらどう?と言ってくださったんです。

ラジオは楽しいし、もともと大好きで、ずっと聴いていたけれど、
職業の選択として考えたことは一度もなかったんです。
ラジオって気軽に目指せるものなの?とビックリしました。

調べていくと、いろんなオーディションが行われているのを知って、
ラジオ(の仕事)にどんどんアンテナが立つようになっていきました。

◼️…実際にオーディションを受けていく訳ですね?

学園祭を機に(今もお世話になっている事務所*が)ラジオDJコンテストを行うというので、デモテープを作りました。

それが予選を通ったので、今度は、大教室に設らえた会場でマイクを通して話すという体験をしました。
自分が選んできた音楽がスピーカーから流れる中でフリートークをするんです。

一回目は別の方が優勝されて、私は落ちちゃうのですが、
ラジオって楽しそうだし、来年も挑戦しよう!と思いました。

次の年、賞をいただいて、現在に至ります。

*所属事務所 FM BIRD

◼️…大学はジャーナリズム専攻でしたか?

法学部政治学科でした。

ただ、政治学科は、政治の道に進む人だけではなく
ジャーナリスト志望の人も入ってくる学科でした。
今でもつながりのある友だちには、新聞社や、通信社、放送局政治記者もいます。

私は当初、外交官になりたくて政治学科に進んだんです。
世界は広くて、いろんな文化を知りたいし、自分も日本の魅力を伝えられる仕事をしたいと思いました。

ただ、内容が政治史、経済、国際政治、法律などで、
とても難しいと感じましたし、周りの人があまりにも賢すぎるので(笑)、
ぼんやり外交官になりたい、憧れだと言ってみたものの、現実的に厳しいと思いました。

だったら、自分はどうしたらいいのか?と考えて、
交換留学プログラムで、またアメリカに戻る道も探ったのですが
すでにアメリカでの生活を経験している私には難しい道でした。

そんな時、ラジオをつけると、英語を遺憾なく使いながら、
海外アーティストへのインタビューをするのが聴こえてきて、
私がやりたいことを叶えるのは、政治の世界以外にもあるかもしれないと思い始めたんです。

人前は苦手だけれど、
ラジオはスタジオに入って喋るらしいから
どうやら人前じゃなさそうだ、これはできるかもしれないと、
謎の勘違いをしてしまった…というのがあるかもしれません(笑)

◼️…(オーディションで)賞をいただいた時はどんな気持ちでしたか?

嬉しかったです。
自分の新たな一面を誰かに見つけてもらえたという感じでした。

自分でミニ番組を作って、皆さんに聴いてもらうというもので
ドライブデートを盛り上げる話題と曲という感じでデモンストレーションをしたと記憶しています。

皆さんが興味を持ってくれるテーマって何かな?
やっぱりデートなのかしら?と思って、自分で構成を考えて選曲もしました。

◼️…周りが就職活動する中で、職業の選択をどのように考えていましたか?

あまり迷いはありませんでした。

時代は就職氷河期で、
周りがなかなか行き先が決まらないのを横目で見ながら、
私はもう好きなものを見つけちゃったのだから、この世界で頑張りたいと思いました。

大学時代、大阪FM802で週1の番組レギュラーをいただいて、そこで初めてプロの現場を体験しました。
皆がすごく生き生きとお仕事をされていましたし、
大阪は笑いの文化なので、いつも笑って楽しそうでした。

オーディションで選んでもらったので、こんな風に認めていただいたことが、
「頑張れば(自分にも)可能性がある」という希望につながりました。

FM802の番組は1年で終了になってしまいましたが、
大学卒業のタイミングでJ-WAVEから月曜から金曜の帯番組のオファーをいただきました。
ここから意気揚々とDJとしてスタートすることになるのです。(嬉しい嬉しい♡)

茅ヶ崎(神奈川県)の実家も出て、一人暮らしが始まりました。


◼️…実際に帯番組を担当していかがでしたか?

大阪時代もいっぱい怒られて、戸惑いばかりでしたけれど、
週1回だったのでなんとか乗り切ったところがありました。

東京の場合は帯番組ですから、
今日が終わったら また明日もやってくるので、何を話そうかと考える日々です。

なかなか悩ましい新人時代でした。

◼️…新人じゃなくなったと感じたのは どのぐらい経ってからですか?

小さい時聞いていました」とか
後輩から「学生時代ずっと家族で車の中で聞いていました」と言われると、
月日は流れたな、と思います。

でも 相変わらずできてないなと思うことがたくさんあるので
「セルフ新人気分」はずっと残っています。

全ての仕事においてそうですが
自分が「このぐらいでいい」と思ってしまったら、全ての終わりが そこから始まってしまうので、
ここはそうじゃないよ、と言ってくださる方が周りにいらっしゃることは
とてもありがたいことだと思っています。

◼️…ターニングポイントだったと感じたのはいつですか?

やはり「あの番組*」です。