和田 繭
わだ まゆ
【1】
◆…起業家ファッションプロデューサーとは、どんなお仕事ですか?
起業家・経営者の方が 人前に立つ時、
お客様に対面でお会いする時 オンラインでお話しする時に
どのようなファッションでお仕事をするかについて提案しています。
魅せ方を整えるとお客様に安心を与えて、信頼を得ることができます。
フルプロデュースファッションコンサルタントをさせていただきます。
その結果として、(クライアントの)売上をあげるのが私の役目で す。
◆…子どもの頃からファッションに興味があったのでしょうか?
本当は美容師になりたかったんです。
ただ、かなり肌が弱かったので、美容師以外の道を考えました。
何が好きかなって思ったら身近すぎて気づきませんで したが
ファッションかなと思って、服飾関係の学校に2年間 通いました。
そこでは素材や色、形など、基礎的なことから、
服を自分で作れるようになるまで、
さらには、服が売れるまでのファッションビジネスの流れなどを 徹底的に学びました。
この頃から、一緒にお買い物についてきてと言われることが多くて、
なんでこんなことを頼まれるのか謎だなと思いながらも
よく一緒に選びに行ったりしていました。
きっと魅せ方には興味があったのでしょうね。
◆…そして、ファッション業界に入るわけですね?
それが…。
その時代は、就職氷河期だったので、
就職活動がうまくいかなかったんです。
それで1年間ぐらい旅に出ることにしました。
◆…どんな旅ですか?
バックパッカーとまではいかないのですが、
その現地に駐在している親戚や、そこに住んでいる友達を訪ねて
アメリカ、ヨーロッパ、アジアとか色々行きました。
小さい頃からご縁があって海外には行っていましたが、
やっぱり自分が決めて行くのと
行かされて行くっていうのでは全然違うなと思います。
自ら飛び込んで行ったので、日々発見の連続でした。
日本ではこんなのあり得ないと思うことが多くて、
ひとつひとつが新鮮で楽しかったですね。
価値観も大きく変わったなと思います。
◆…(海外とは)どういったご縁ですか?
60・70年代に父がバイヤーみたいな仕事をしていて
香港やパリ・ヨーロッパ各地に行っていました。
それで(海外への)抵抗が少なかったとは思いますが、
今考えたら、よく行ったなと思います。
お金がないけど時間だけはたっぷりあったので、
あの時に思い切って飛び出してよかったと思います。
携帯電話も今とは違うものだったし、
パソコンも一人1台持ってるような時代ではなかったので、
旅のガイド本(「地球の歩き方」)と辞書を持って
勢いで行っちゃった感じですね。
友だちもいますし、アジアであれば、
関西から数時間で飛んで行けるので、今でもよく出かけます。
そうやって海外から吸収したものを 仕事に出していってるのかもしれません。
1年の海外放浪の後、某有名繊維会社に就職しました。
百貨店にも卸していて、販売もする会社だったので、
繊維会社の社員として、
勤務先は百貨店・本社勤務という立場で勤務しました。
◆…そこで、売上日本一販売員を三年間連続達成するわけですか?
そうですね。
◆…他の方と何が違ったのでしょうか?
それはもう明確に分かっています(!)
◆…何でしょうか?
これは、今の仕事と繋がっていると思いますが、
百貨店ではみんな同じ制服を着るんですよね。
競合他社がたくさんある中で、
どうやって売り上げを伸ばすかと考えたら、
自分の見た目を変えようと思ったんです。
みんな同じようにしか見えないから、
自分の見た目を変えてお客様に覚えてもらおうと思いました。
見た目を少し変えたら、少しお名前を覚えてくださる方が増えて、
また少し変えたら、また少し増えていく、を積み重ねていきました。
場所が神戸だったので、海外の方が多いし、芦屋とか西宮とか高級住宅街の方も多い。
その中で、わださんから(その商品)を買いたいという人が増えていって
売上につながっていきました。