みなみ みぶ

南 美布

1975年から1984年にかけてニューヨーク州で暮す。
帰国後、上智大学で国際商業を学び、バイリンガルであることとバイカルチュアルな環境を活かし、
1989年のラジオDJコンテスト入賞をきっかけにDJ活動をスタート。
1994年から15年間東京のFM局J-WAVEのナビゲーターとして数々番組を担当。
その他CMナレーション、コラム、インタビュー、イベント司会など幅広く活躍。
英語に加えスペイン語を身につけるため2005年の春から一年間 スペイン・マドリードへ留学。
2006年4月より東京のメディア界に復帰。
家族と共に2016年からインド・ニューデリー在住。
2023年4月に本帰国し、再び日本のメディア界に復帰。
現在は「iHeart Hawaii」(InterFM 毎週土曜日10~11:00放送)のDJを担当中。

趣味は、写真、旅、ヨガ、ジョギング、スノーボード,映画。
TOIEC 990点(2016年9月)
全米ヨガアライアンス認定ヨガインストラクター資格RYT200取得 (2022年)

@mibu_minami

【2】

Q.J-WAVEでのスタートはいつですか?

1994年ですから、24歳ですね。
オーディションを受けて、土曜日の番組をいただきました。

DJ達の横のつながりがあって、みんなファミリーという雰囲気でした。
みんな温かく迎えてくれて、楽しい環境で仕事ができました。

それ以降、仕事が広がっていきました。

15歳で帰国した時にはあんなに辛かったのに、
4、5年経ったら、いろんな人が受け入れてくれた経験は、とても大きかったです。
大きな大きな心のプレゼントでした。

あれがあったから、今の自分があると思います。

特にJ-WAVEではいろんな方に育ててもらいました。
受け入れてもらって、包んでもらったことは、一生の宝物だと思います。

Q.印象的なお仕事を一つ挙げるとしたら何ですか?

現在担当させていただいている「*iHeart Hawaii」は今年4月で13年目に入ります。
今まで担当した番組で最も長く続いている番組です!

*InterFM 毎週土曜日10~11:00放送

いろんな番組を担当してきて、どれも楽しかったのですが、
あえて挙げるとするなら、
2000年から5年間ナビゲートしたリクエスト番組で、
“Viva Access(J-WAVE)”でしょうか。

番組名を決めるところから、会議に入れてもらいましたし、
いろんなアイディアを練る場にも参加したので、特に思い入れのある番組です。
週4日 2時間半の生放送で、毎日ゲストを呼んで生演奏していただきました。

毎日大変だったんですけど、
いつも新しい何か企画をやってみようというメンバーで
一緒に作り上げる面白さがありました。

本当にいい番組でしたね。

Q.今、お住まいは日本なんですね?

東京に戻ってきました。
2023年4月に本帰国して、現在は東京にいます。

夫はフランス人で、出会った時日本企業に勤めていました。
彼が香港に行くことになった時、
私は生放送を担当しているから、香港に移住するわけにいかない…。
香港に行ったり来たりを繰り返していたのですが、香港への移住決断しました。

大きな人生の選択でした。

その後、彼は仕事でインドに行くことになったので、
インドに移住して、出産はインドでしました。
自分の人生にこんなこと(インドで出産)が起こると思わなかったですね。

およそ6年半インドで生活して、昨年、本帰国しました。

母親になったことに、すごく感謝してます。
子どもに色々いろんなことを教えてもらえるので、
今また 新たな人生を生きている気がしています。

仕事をしている時の私のことを、息子は「違う人みたい」って言っています(笑)
家では、「〇〇しなさい。こうしなさい!」っていいますからね。
全然違うって思うのでしょうね(笑)

現在 夫は日本の企業に勤めていて、
息子は 現在フレンチインターナショナルスクールに通っています。

Q.普段は何語がメインですか?

家庭内では英語がメインです。

息子は学校でもフランス語ですし、夫と話す時もフランス語、
ただ日本に帰ってきたので、少しずつ日本語も話すようになっています。

教育ママではないですが、語学にはたくさん触れてほしいなと思っています。

Q.お仕事では日本語の正しさも求められると思います。大変なことはありましたか?

最初は、日本語が下手だったので、
DJ名をハーフっぽい名前を使ったらどうかと言われたこともあります。

珍しくて好きではなかった自分の名前ですが、
他の名前を使うとなると、それにはピンとこなかったんです。

ルーシー・ケントさん(ラジオパーソナリティ)が
「MIBUって面白い名前だね」「みぶ~♪」と楽しく呼んでくれたのがきっかけで
「みぶ~♪」の愛称がDJ仲間に広がっていきました。
今はこの名前が好きです。


(大学卒業の頃)

このままの日本語じゃダメだよって言われて、涙した日もありました。
当時「神のみぞ知る」ってなかなか言えなかったり、
微妙と絶妙の使い方を間違えたりして、恥ずかしい思いをしました。

ただ、そこは自分がめげずに頑張るしかないですよね。

大学を卒業して、DJの道に進もうとした時、母には猛反対されました。
多分怖かったのでしょう。
帰国した当初、日本語は全然喋れないし、関西弁だし、
イントネーションもおかしいし、漢字も下手だし、
そんなあなたがラジオで喋る仕事なんて無理よって言われていました。

それでもやりたいと思えたのは、受け入れてくれる人たちがいたからでしょうね。
そして、良いスタッフに恵まれました。
よく見守ってくれたと思っています。

Q.逆にアメリカと日本の両方を知っていることで良かったことはどんなことですか?

基本的に良いところしか見ていないですね。

兄と話す時は 英語と日本語が混じります。

親は生粋の日本人ですから、
「なんでこんな子どもになっちゃったんだろう」って言うこともあります(笑)

でも、英語を喋れることで、夫と出会い、海外で生活しましたし、
たくさんの来日アーティストへのインタビューもできました。

ラジオでは もちろん間違うことがあります。
でも、自分はその日、失敗したと思って眠れなかったとしても
ラジオを聴いていた方が「(その場では)変な日本語だな」と笑うかもしれないけれど、
皆それぞれ生活があるので、
そのことをずっと考えて生活している人はいないだろうと…。
そう思えたら 少し気が楽になりました。

良いことも悪いこともあるのですが、両方あるのが自分だと思いながらやっています。

15歳で帰国した時には、100%の日本人になりたい!と思うこともありましたが、
ある時、なんでこんなに無理しているんだろうって思ったんです。
100%じゃないところが私らしさだと今なら思えます。

Q.今後も日本にとどまらない活動をなさっていくのでしょうか?

今、ラジオ番組の他に、ナレーションのお仕事もあります。
先月末まではJAL国際線でハワイ特集のナレーションを担当していました。

日本に帰ってきて、またナレーションのオファーがあるのは、
本当に有難いことだなと感じています。
新しい年、また新しい出会いがあったら嬉しいなと思います。

DJをこんなにも長く続けられるなんて、
あの頃の自分から考えると、ビックリすることですが、
何にも代え難い経験だったなと思います。

自分らしさが形になっていく、そこに喜びがある仕事だなと思うんです。
この先も、リアルな自分をオープンに表現していきたいです。

そして、まだまだ新しい自分を見つけたいです。
健康で動ける内にいろんな場所に行っていろんなものを吸収したいですね。

”アイディア”は何気ない会話の中から生まれるものです。
みんながもっと時間作って、
お互いを尊重できるように会話を増やし、
価値観を分かち合えるような世界を作っていけたら良いなと思います。

”私の表現”(そんな世の中になっていくために)貢献できたら幸せです。

(了)
インタビュアー:鶴岡 慶子
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