• 後編

つもり たかえ

津森 貴恵

– 兵庫県姫路市生まれ。
– 専門学校で情報処理を学び、プログラマーとして東京でキャリアをスタート。
– 音楽やエンターテインメントの世界に憧れ、ウルフルズや清水ミチコのマネージャー業を経験。
– 帝国ホテルやニューオータニで仲居として勤務。
– PR会社で与論島や相撲部屋などの広報業務に携わる。
– デイサービスで老人福祉、重度訪問介護で障害者福祉に携わる。
– 震災を機に長野県へ移住。オーガニックショップ勤務を経て、現在は3つの仕事を掛け持ちしながら身近な人々と助け合いのコミュニティ「ツモリネコノテ」を運営。

tsumorinekonote

 

【2】

◼️…さらに介護の仕事に転身。その経緯はどういったものでしたか?

介護技術を身につけておきたいなと軽い気持ちでデイサービスで働き始めました。
するととても信頼している友人から
「私がやってる重度訪問介護の仕事が向いていると思うよ」と誘われたんです。

重度訪問介護とは、24時間体制で重度の障害がある方の生活を支える仕事です。
利用者さんの家に泊まり、一緒に買い物に行ったり、
食事の介助をしたり、
まるで家族のように生活をサポートする仕事でした。

介護というと「お世話をする」というイメージが強いですが、
重度訪問介護では「その人がやりたいことを実現するためのサポート」を重視します。
例えば、「一人暮らしをしたい」という人がいれば、家探しを手伝い、引っ越しをサポートする。
映画を観に行きたいと言われれば、車椅子で映画館に一緒に行く。
利用者さんの「自立を支援する」という考え方です。

そうした一つ一つの積み重ねが、その人の人生をより豊かにしていくんです。
この仕事を通じて「人の生活に深く関わることの大切さ」を強く実感しました。

◼️…長野への移住はどんなきっかけがあったのでしょうか?

2011年3月11日に発生した東日本大震災です。

東京の脆弱さを目の当たりにしました。
スーパーの棚が空っぽになったし、公共交通機関が完全にストップしました。
「東京での生活は本当に安全なのか?」と強く疑問を持ちました。

(のちに夫になる人)が長野に住んでいたこともあり、休日によく遊びに行っていました。
夫は埼玉出身ですが、大学を卒業してそのまま長野に住んでいました。

震災を機に価値観がガラッと変わった私は
とにかくキレイな空気と水があるところに住みたいと思って移住を決めました。

◼️…夫さんとはどんな出会いだったのですか?

デイサービスで働き出した時に腰を痛めないようにと思って、武術を習い始めたんです。

甲野善紀氏を始めいろんな先生方から身体の使い方を学びました。
昔の体の使い方で人を持ち上げたり、移動させると身体に負担がかからないんです。
古武術介護というジャンルもあるんです。
すぐに介護現場で使いとても役に立ちました。

彼はその稽古会にわざわざ長野から通ってきていた稽古仲間でした。
ちょっと変わった人でしたが、興味のあることが似ていました。

話が尽きなくて、この人といたら一生楽しめるなと思いました(笑)

◼️…長野に移住してどんな暮らしになったのでしょうか?

まずは伊那市のオーガニックショップ「ワイルドツリー」で働き始めました。
接客をしたり、発送作業を手伝ったり、イベントでの出店販売を担当したりしました。
このお店には、長野に移住してきた人たちや
地元でユニークな活動をしている人たちが集まるので、とても影響を受けました。

移住してから10年近く働いた「ワイルドツリー」 いろんなことを教わりました

姫路の両親も今は、長野に移住してきて近くに住んでいます。
父は長野に来てもなお、規模は小さくなりましたが神社の神主をしています。
そういう場所は心静かになりますし、何より心のよりどころです。

◼️…その後、長野での仕事はどのように変わっていきましたか?

オーガニックショップでの経験を活かして、地域のさまざまな仕事に関わるようになりました。

宮田村にある低農薬で作っているりんご農家「善積農園」で事務の仕事をしたり。
中川村の福祉施設「くらしごと」で支援員をしたり、
飯島町にある一棟貸しの古民家ゲストハウス「nagare」 ではたまに掃除を手伝っています。
ここは海外からのゲストも多く、とにかく雰囲気が素晴らしいので、
仕事というよりも「素敵な空間で時間を過ごす」という感覚で働いています(笑)

今の私には「いろんな仕事を掛け持ちしながら、地域の繋がりを広げる」という働き方が合っていると気付きました。

◼️…『ツモリネコノテ』を立ち上げた経緯を教えてください。

長野での生活に慣れるうちに、
「都会と違って、田舎には助け合いの仕組みが必要だ」と感じるようになりました。
都会ではお金さえ払えば解決する面もありますが、
田舎では「お金ではお願いしにくい小さな困りごと」がたくさんあります。

例えば、
「ちょっと車を出してほしい」
「留守中に〇〇をお願いしたい」
「家の草刈りをお願いしたい」など、
ちょっとしたサポートが求められることが多いんです。

そんな中「お互いに助け合えるコミュニティがあれば、
もっと暮らしやすくなるのでは?」と考え、『ツモリネコノテ』を立ち上げました。

名前の由来は、「猫の手も借りたい」のネコノテです。
身近な人たちと気軽にネコノテし合う関係を大切にしています。

近所のぱん屋「土ころ」で店番ネコノテ

◼️…具体的にはどのような活動をされていますか?

お互いの生活のちょっとした手助けをする活動をしています。

例えば、誰かが旅行で家を空ける時はペットを預かったり、
田舎でよくある余った野菜を物々交換したり、
急な用事で送迎が必要な時に車をだしたり、
農作業を手伝ったり。

私自身も実際に母が体調を崩した時に、友人の看護師夫婦がすぐに駆けつけてくれて、
精神的にも本当に助けられました。

こうしたささやかな助け合いが人生を豊かにすることを身をもって感じています。
こうした活動は仕事ではなく
「得意なことでちょっとしたお手伝い」というのがポイントだとも思います。

ペットシッターお散歩ネコノテ

◼️…津森さんにとって「人生のステキ」とは何でしょうか?

興味のあることを見つけて行動することです、
小さなことでも大きなことでも。

上京したこと、東京ならではの仕事をしたこと、長野に移住したこと。
すべての道のりで、多くの人たちと出会い、世界が広がり、今の暮らしがあります。

無農薬の「ももちか屋」桃ジャム 商品開発ネコノテ

あの時行動して良かったと思うことばかりです。
今 興味があるのはやはりコミュニティ作りです。
まずは身近にいる気心の知れた人たちとネコノテ活動を続けていきたい。

その先はきっとまた何か思いつくので  それはまたその時に…(笑)

近所にオープン予定のカフェ建築ネコノテ

(了)
Copyrighted Article. Do not reproduce without permission.