おおにし あり

大西亜里

国立音楽大学声楽学科卒業。
桐蔭学園、慶應義塾高等学校で音楽教師として勤務し文化放送スーパーオーディションで2000組からグランプリを受賞。
テレビ朝日AXEL主題歌「返事」でメジャーデビュー。
2008年、avexよりテレビ東京・豪腕コーチング主題歌「誰より今」でソロデビュー。
阿川佐和子ゴルフ友遊録主題歌「Time goes by」朝はビタミン主題歌「幸せの言葉」リリース。
2023 年 Billboard Live 東京にて相田翔子とダイアモンドユカイをゲストに迎えた復帰公演を開催。
現在は音楽家として作曲や様々なアーティストとコラボに挑戦する。

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@arionishi

【1】

◼️… 音楽との出会いはどんなものでしたか?

私の家は特に音楽一家というわけではなく、父も母も音楽家ではありませんでした。
ただ、ご近所にピアノを習っているお姉さんがいて、
外からそのピアノの音が聞こえてきたことが強く印象に残っています。
「あんなふうに弾いてみたいな」と思ったことが、音楽との出会いでした。
幼稚園の頃だったと思います。

私はピアノが欲しいと両親にお願いし、
ついに我が家にピアノが届いた時はとてもうれしかったです。

それから本格的にピアノのレッスンが始まりました。
とはいえ、当時はクラシック一辺倒というわけではありませんでした。

私はテレビを見るのも好きで、歌謡曲も大好きでした。
「ザ・ベストテン」や「トップテン」といった音楽番組を食い入るように見ていたことを覚えています。

初めて自分で買ったレコードは、近所のデパートにサイン会で来ていた石川ひとみさんの「まちぶせ」でした。
東京町田のデパートまで親に連れて行ってもらい、
レコードを買ってサインをもらったことは今でも鮮明に覚えています。

それと同じ時期に買ったのが、ビリー・ジョエルの「Honesty(オネスティ)」のレコードです。
小学生の私には少し背伸びした選曲だったかもしれませんが、
メロディの美しさに心を惹かれたのだと思います。

今振り返ると、どちらも少し寂しげな曲で、
自然とそういう世界観に惹かれていたのだと感じています。

◼️…歌うことにはいつ頃から興味がありましたか?

小学生の頃、町内の子ども会で開かれた「のど自慢大会」のようなイベントに、友だちと一緒に出ることになりました。

本来の私は目立つことが苦手で、人前に立つような性格ではありませんでした。
歌うというよりは歌を聴く方が好き。
でも友だちが参加するということで、流れに乗って出ることにしました。

そのときに歌ったのは、柏原芳恵さんの「あの場所から」でした。
レコード、カセットテープの時代で何度も聞いて一生懸命に練習して臨みました。
その大会で「特別賞」をいただいて、
その後に出場した別の大会では、松田聖子さんの「風立ちぬ」を歌って、優勝することもできました。

歌を誰かに習っていたわけではなく、すべて自己流でした。
耳で聴いて真似をする「耳コピ」を繰り返していたことが、
今思うと、結果的に表現力へと繋がったのかもしれません。

◼️…歌謡曲が中心だったのですか?

小中学生の時は歌謡曲が中心でしたが、
高校生になって軽音楽部に入ってバンドをやったんです。

周りの友人の影響でハードロックやヘヴィメタル、先輩たちの影響でフォークにも触れました。

バンドブームでもあり、
プリプリやレベッカが流行っていてコピーしたり、浜田麻里、アンルイスも好きでした。

歌謡曲しか知らなかったけれど、いろんな音楽に出会えたのが高校時代です。

◼️…そして音楽大学に進む選択をするのですね。

高校は普通高校だったので、最初は何となく文系の大学受験を考えていました。

一方で、音楽が生活の一部になっていて、バンド活動にも夢中。
毎日のようにメロディが自然と頭に浮かぶような日々を送っていたため、
「将来も音楽に関わっていたい」と思うようになりました。

自分がタレントや歌手になりたいというわけではなく、
「音を作る人」、つまり作曲家や音楽家という存在に憧れを抱き始めていました。
その気持ちを両親に話すと「音楽大学という道もあるんじゃないか」とアドバイスをもらいました。

両親の知り合いに音大の先生がいたため、その方に会いに行くことになりました。
その先生は藤原歌劇団の現役のオペラ歌手でもあり、音楽大学で教鞭をとっている方でした。

初めてお会いしたときに、その先生がマイクを使わずに歌った姿に衝撃を受けました。
体全体が楽器になっているかのような声の響きや力強さ、そして優雅さに圧倒され、
「こんな歌の世界があるのか」と感動しました。

”マイクやスピーカー”というのは当然近代のものであって、
スピーカーやマイクが存在しなかった時代に歌は生まれていて、全ての音楽のルーツを見た思いでした。
クラシックの世界では「生の声で空間を鳴らす」。
その原始的で本質的なスタイルに、私は心を奪われました。

高校2年の秋のことです。

最初に「音楽大学」と聞いて思い浮かんだ名前が、なぜか“国立音楽大学”でした。

先生のご出身の東京藝術大学も勧められたのですが、
声楽を学び始めたばかりで、歌とピアノの受験課題曲も各大学で違いますし、
センター試験の準備などを考えると併願はリスクかなと…。

国立音大の声楽科は在学中にNHK交響楽団と共演して「第九」でNHKホールの舞台に立てると知り
「そんな貴重な体験ができるんだ!」と一気に惹かれ、単願で国立第一志望を決意しました。

先生の家にはすでに音大を目指す受験生たちが通っていて、私もその中に混ざって勉強するようになりました。

それまでロックボーカルをやっていたのに、
「これをやる」と決めてからの自分の集中力はすごかったです(笑)。
夢中で走り抜けた期間でした。

◼️…振り幅がすごいですね。

そうですね(笑)。

ジャンルを問わず「いいな」と思った音楽を、とにかく試してみるのが好きだったのです。

片方ではハードロックをシャウトしながら歌い、
もう一方ではアイドル曲をコピーする。
さらには、クラシックは発声法が全く違うんですね。

一から学んでいくのですが、
先生のレッスンを受けるたびに自分の声がどんどん目覚めていくのを感じたので、
受験勉強がものすごく楽しかったんです。

受験の技術科目は
・イタリア歌曲を実技で歌う。
・モーツァルトとベートーベンのピアノソナタから一曲選んでピアノを弾く。
・流れてくる音楽を耳で聞き取って楽譜にする。
・当日渡された楽譜を見て、その場でパッと歌う。
入試はこの他に国語と英語の筆記試験がありました。

大好きな歌を歌って、ピアノ弾くことが、受験勉強につながるなんて!。
楽しいから、身についていくし、できるようになっていくので、受験勉強は楽しいものでした。

短期間だったことは大変でしたが、
小学生の頃から音大を目指していたら、逆に途中で挫折してたかもしれないですから、
一年半くらいで集中してやれたことは、私にとってはよかったかもしれません。

◼️…実技の試験は一発勝負で緊張しますね。

自分の持っている最上級のものを出そうとしたり、
等身大の自分以上によく見せようしたりすると緊張しちゃいますよね。

スポーツの世界でも、練習通りやれってよく言いますが
今まで出したことないパフォーマンスを出そうとしちゃうから
調子が狂っちゃうんですね。

練習は本番のようにやり、本番は練習のようにやるんです。

実技試験の日に絶対風邪ひいてたら声が出ないからアウトなので、
徹底的に風邪ひかない方法を調べました。
3時間に一回うがいをするといいとか。吸入器使うとか…。
あとは「病は気から」と言いますが、メンタルがすごく大事なんですね。
”よく笑うような楽しい生活を送ること”も心がけました。

自分の体が楽器だということと、その楽器をベストな状況に持っていくことがすごく大事です。

それはプロになってからも同じですね。