• 後編

おおにし あり

大西亜里

国立音楽大学声楽学科卒業。
桐蔭学園、慶應義塾高等学校で音楽教師として勤務し文化放送スーパーオーディションで2000組からグランプリを受賞。
テレビ朝日AXEL主題歌「返事」でメジャーデビュー。
2008年、avexよりテレビ東京・豪腕コーチング主題歌「誰より今」でソロデビュー。
阿川佐和子ゴルフ友遊録主題歌「Time goes by」朝はビタミン主題歌「幸せの言葉」リリース。
2023 年 Billboard Live 東京にて相田翔子とダイアモンド☆ユカイをゲストに迎えた復帰公演を開催。
現在は音楽家として作曲や様々なアーティストとコラボに挑戦する。

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@arionishi

【2】

◼️…音大ではどのような学生生活を送っていたのですか?

まさに音楽漬けの毎日でした。

私が師事していた先生はとても熱心な先生で
平日以外に土曜日も*重唱研究会を開いてくださって、
朝から夕方まで一日中レクチャーを受けていたので、
いわゆる大学の”サークル活動”などには参加できなかったです。

*重唱=二、三人で楽曲を歌うもの

三年生の年末はN響のベートーヴェン交響曲第九公演に出演という夢がついに叶いました。

これは余談ですが、 私が一年生の時、四年生に秋川雅史さんいて、
重唱研究会で一緒でした。
時を経て再会し、昨年『瑠璃色の地球』のデュエットで初共演を果たし、
ご一緒にお仕事させていただきました。
音大ではクラシックをみっちり学びますけれど、
それぞれ自分の音楽を追求し、ジャンルを超えてご活躍の方々がたくさんいます。

大学の授業ではオペラや歌曲を歌っていましたが、
一方で私は大学在学中からオリジナル曲(ポップスの曲)を作っていました。

また教育実習もして教員免許を取得しました。
就職活動の時に音楽関係の会社から内定も頂きましたが、
教員採用試験に合格して、横浜の桐蔭学園と、慶應義塾高校で音楽教師として勤務しました。

◼️…プロへの転身はどんなきっかけでしたか?

教師として勤務する合間に作曲していました。

楽曲が10曲を超えたので、レコード会社にデモテープを送ったところ、
連絡を頂き、音楽業界とのパイプが初めて出来ました。

その頃、音大の同級生とユニットを結成しオリジナル曲を増やして
ライブ活動やラジオパーソナリティを始めました。
文化放送スーパーオーディションで2000組からグランプリを受賞し、メジャーデビューが決定しました。

それを機に、学校の教師は退職して所属事務所と契約。
月給制で都心にお部屋も用意していただき、今思えば本当に好待遇で迎えていただきました。

それが1999年のことです。

◼️… デビューした時どんな気持ちでしたか?

私自身はあまり過去を振りからず”今を生きる”タイプなので、やるしかないという気持ちでした。
ご承知のとおり厳しい世界で、ヒット曲を出すのは大変です。
2、3年経った頃、ユニットのパートナーは結婚して家庭を築きました。

一方、私は、KONISHIKIと作曲した花キューピットのテーマソングをデュエットし全国ツアーしたり、
桑名正博さん(1953-2012)とテレビ番組の司会に挑戦したり、
ダイアモンド☆ユカイさんのバックコーラスを務めたり、
芸能界の先輩方との出会いに恵まれ、成長させてもらいました。

島谷ひとみさんと共演、ピアノとコーラスを担当

◼️…音楽家として経験を積んで行ったのですね。

初めて楽曲提供させていただいたアーティストは西田ひかるさんです。

他に、デビュー当時の若槻千夏さんなどを輩出したアイドルグループや、
加護あいさん、相田翔子さんなどにも私の曲を歌っていただきました。

また、ボイストレーナーとして、ヘアメイクのIKKOさん、役者の早乙女太一さんなど担当いたしました。

自分の中では、大西亜里としてソロデビューするまでは嫁には行けないという意地があって(笑)
CBSソニー社長、ワーナーミュージック会長を歴任された稲垣博司さんや、今井美樹さんのプロデューサーとして憧れていた松田直さんが在籍するavexとご縁をいただき、契約を結びました。

CDを3枚リリースしましたが、結婚、出産を機に休業することとなりました。

◼️…活動を休止することに葛藤はありましたか?

それに対して、葛藤はなかったです。

”今を生きている”タイプなので、過去に浸ったり、未来を思い描き過ぎることはないんですね。

私はあまり器用なタイプじゃないので、
子育てと(スポーツ選手の)夫のサポートに加えて
自分の音楽に向き合う時間は作れなかったというだけのことだと思っています。

十年ちょっと間が開きましたが、
なにせ”今を生きている”タイプなので、復帰に対して怖いという気持ちもありませんでした(笑)。

◼️…活動への復帰はいつでしたか?

本格的に復帰したのは二年前、ビルボード東京でのソロライブです。

久しぶりのステージは絶対この会場で!と思い描き、時間をかけて準備をして実現しました。

長年の親友である相田翔子ちゃんをゲストにお迎えし、Winkのヒット曲やオリジナル曲でコラボしたり、
サプライズゲストにはダイアモンド☆ユカイさんが駆け付けてくださり、
2人で腕を組んで階段を降りながらトイストーリーの名曲『君はともだち』で盛り上げていただきました。

行列が出来るほど沢山のお客様にお集まりいただき、幸せな時間を過ごせて感謝しかありません。

それ以来、お仕事のオファーが次々と舞込みました。

1人息子が義務教育のうちは、家族優先にタイミングを見極めてお受けするか決めていました。

そしてこの度、息子が海外留学して少し手を離れたので、
アイドルのオーディションの審査員として地方出張しました。

ミツバッチガールズというグループのプロデューサーとして、8月に大分のフェスでデビューさせます。
本番までに、楽曲制作、ボイトレや衣装のことなど、育成の真っ只中におります。

◼️…今の活動の中心はどんなことですか?

今は、自分自身がタレントとして活動するよりも、
作曲やプロデュースなど、業界の裏方に憧れて積極的に取り組んでます。

それと同時に、自分自身が表現することも忘れてはいけないと思っていて
「ピアノでアトリエ」という藝術活動をヴァイオリニストの福元麻理恵さんと一緒に立ち上げました。

会場の赤坂ストラドホールには、
クリムトの絵が描かれた世界三大ピアノ・ベーゼンドルファーと、
世界希少なストラディバリウスを奏で、数々のニュースでご好評いただいてます。

9月20日には松田聖子さんを発掘した、ソニーミュージックアーティスツ元会長の若松宗雄氏をゲストにお招きして、
松田聖子さんのデビューから名曲が誕生した秘密を深掘りするというトーク&ライブイベントを予定しています。

また、11月22日は俳優の野村宏伸さんをゲストに
角川映画の主題歌や音楽について深掘りするイベントも開催されます。
野村宏伸さんは、角川映画「メインテーマ」で薬師丸ひろ子さんの相手役オーディションで
何万人もの応募者からただ1人選ばれ、スクリーンデビューされました。
私の青春ですが、幸運にも、今年出会うことが叶い、「ピアノでアトリエ」のご出演を快諾いただきました。

ご予約は*『ピアノでアトリエ』公式Instagramでお願いいたします。

*@piano.de.aterier

◼️…たくさんの素敵なご縁に恵まれていらっしゃいますね?

人との出会いは増えていて、年々更新している気がします
オーディションに参加するアイドルの原石たちも
感性やひらめきを刺激するような出会いです。

自分の力は小さいけれど、たくさんのご縁の中で
それぞれの得意分野で助け合える友達に恵まれ、それは人生の宝です。
座右の銘は『他力本願』というほど、友達に支えてもらってます。
自分で全部抱え込もうとせず、人の力に頼るのも大事なことだと感じています。

人生のステキって、一言で言うと、「笑ったもん勝ち」だと思っているんです。
人生で一回でも多く笑える人生が勝ち組だと思います。
もちろん怒ることも、苦労することも、涙することもあります。
でも全体を見渡した時に笑いの比率を多く占めるように生きていきたいですね。
一緒にいて笑える人が周りにいるとか
常に楽しくなっちゃうような人たちと付き合うとか、お仕事するとか。
そんなことを大事にしたいです。

◼️…今後どんな活動をしていきたいですか?

世代やジャンルを超えて長く歌い継がれる歌を
作詞作曲できたらいいなと常に思っています。

作家は「この子に似合う、こういう曲を作ってほしい」という依頼を受けます。
そういうことに答えられるのがプロの作家だと思うので
日々アンテナを張ることはもちろん大事ですね。

私の人生を振り返ると、
ロックもポップスも歌謡曲もクラシックも経験出来た珍しい経歴と思います。
音大ではソプラノ。
一方でポップス、ハードロックもヘヴィメタも歌っていたという人を見たことがないですね、私以外(笑)。
学校の先生を経験したというキャリアも今ではネタとなってます。

この私ならではの“バリアフリーな音楽観、世界観”で楽しみながら、新しいものを作り出していきたいです。

(了)
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