東京都出身
WEB広告制作会社勤務を経て、2017年に同い年の鍼灸師と共に渡印。
インドデリーで「ありあけ堂鍼灸治療院 in India」を立ち上げる。
インドに住む日本人、また外国人を中心に「日本式の安心、安全、丁寧なWELLNESSサービス」を提供。
コロナ禍を経て現在は、デリー近郊のグルガオンで
日本人鍼灸師3名、インド人マッサージ師6名で活動中。
【1】
◼️…インドはどんな国でしょうか?
どこを切り取るかで「インドとは」が変わってきます。
一言で表すのは非常に難しいです。
どういうことかというと、大きく2つあります。
まず、よく言われるのは、EU連合みたいな国だということです。
インドの国土面積は約328.7万キロ㎡で世界第7位、
日本の国土面積の約9倍です。
インドの国土をそのままヨーロッパに持っていくと
すっぽりEU(27カ国)が重なるんですね。
北部カシミール州には世界で3番目に標高の高いスキー場があります。
南のケララ州は、イタリアの緯度に相当します。
*インド:北緯8度4分-37度6分、東経68度7分-97度25分に位置する
インドには28の州と7つの連邦直轄領(UT)さらに、首都圏(NCT)があっ て、
言語も基本的には州ごとに違います。
インドのお札を見ると、州のそれぞれの言語が書いてあります。
一つでありながら、たくさんの国が集まっているような国です。
もう一つは、宗教がみんなバラバラで
いろんな人がいるということです。
EUは大多数がキリスト教徒ですが、
インドはヒンドゥー教が大多数、2位がイスラム教です。
国内2位と言いながらも、世界では3番目にイスラム教徒が多い国です。
さらに、キリスト教、シーク教、仏教、バラモン教、ジャイナ教・ゾロアスター教など、
本当に多様な宗教の人が入り混じって、宗教の数だけ価値観も多種多様。
実際に住んでみると、周りにいろんな人がいると感じます。
エリアによって食べ物も文化も伝統も違います。
私たちには同じ顔に見えるけれど、
州ごとに言語が違って、顔や体型、性格も違うんですね。
私は現在デリー近郊のグルガオンで日本人の方を対象にしたビジネスをしていて、
インド人スタッフはインド北東エリアの中国国境に近い「セブンシスターズ」と言われる州の人たちです。
彼らはモンゴロイド人種で、宗教はクリスチャンなので日本人ととても親和性があります。
私が接しているインドは ほんの一部ですね。
◼️…インドに渡るきっかけは何でしたか?
それまでWEB広告会社で楽しく仕事をしていたのですが、
40歳手前になって、ふとこの仕事をこのまま続けていっていいのかなと思いました。
元々どちらかというとアナログな人間で、
特にWEBやシステムに精通している訳でもなく、
この業界での自分の将来のあり方に疑問が浮かびました。
またWEBや広告の仕事は働き方もハードで、
体調も変化してくるし、将来への不安や焦りも感じるようになっていました。
子どもの頃から運動することが好きだし、健康が取り柄でもあったので、
(何かをやらなきゃともがいている中で)とりあえずアロマトリートメントの勉強を始め資格を取り、
週末だけ健康系のアルバイトを始めたんです。
そんな時 たまたま同い年の鍼灸師の女の子に出会いました。
それが転機になりました。
◼️…大学卒業後からインドに渡るまではどんなお仕事だったのですか?
実は就職意欲のない、働くことに全く興味のなかったんです。
私が確か高校ぐらいの時に男女雇用均等法ができて、
世の中女性もバリバリ仕事をしていった方がいいという感じだったのですが、
その風潮が私にとっては逆効果だったんです。
大学で出会った女性の先輩達は
かっこよく頭のいい人たちがたくさんいて 大企業に就職しました。
でもやっぱり結婚して辞めちゃう。
子どもが生まれたらみんな結局辞めちゃうんです。
頑張って大学に行って、頑張って就職したのに結局辞めちゃうのか。
どうせ辞めるんだったら働かなくていいんじゃないかとも思っていました。
それでもやっぱり親に申し訳ないので、
短大を卒業した後 1年だけ自動車会社に就職して
貿易関連に携わりました。
その後、早々に結婚し会社を辞め、専業主婦をしてのんびり過ごしてましたが
離婚を機に再び働くことになりIT企業に行きました。
事務職だったのですが、システム言語も教えてもらいました。
やがてシステムもチェックもできるようになって 半分エンジニアみたいな感じでした。
とても良い職場でしたが
この仕事が世の中の何の役になっているかよくわからないままだったので、
もっとエンドユーザーに近い所にいたいと思うようになったんですね。
そんな時に、独立してWEB会社を立ち上げた友人がいて
そこで一緒に行くことにしました。
ITとWEBは違う仕事でしたが、
プログラムの言語がわかってチェックができるという点で 前職が役に立ちました。
さらにクライアントと会って希望を聞き取りする役割をしていたので
「人が見える」「喜ぶ姿が見える」仕事はすごく面白く感じました。
一旦プロジェクトが走り出すと3ヶ月~6ヶ月間チームで動きます。
その間ほとんど家に帰らなかったり、床で寝てる人がいるんですね。
私も
夜中2時に会社を出て
みんなで飲みに行って、
カラオケをして
夜が明ける頃家に帰って
シャワーを浴びて 9時に出社する というような生活です。
面白いけれど、体力は続かない。
週に3回マッサージに通わないとやっていられなくなりました。
これ以上は無理だと思ったのが40歳を目前にした頃だった、ということですね。
◼️…そこから「健康」に照準を合わせていくのですね。
もしここで転職をするなら、一生やれる仕事をしようと考えていたので、
自分は何が好きだったのか?
自分は何がしたいのか?を紙に書き出しました。
好きなこと、得意なこと。
飲食は好き、ファッションは好きだし得意。
でも、好きのレベルでできる仕事ではないし、出遅れた感もありました。
健康についても
いきなり技術は身につかないから
健康系の会社の広報担当としてサラリーマンになろうと思っていたんです。
そんな時に同い年の鍼灸師の彼女に出会ったことで
インドで起業するに至りました。
◼️…どのように話を進めていったのですか?