とたに さなえ

戸谷 早苗

東京都生まれ。
親の仕事の関係で4歳~11歳までアメリカ。
大学卒業後、フリーランスの通訳者(日ー英)として活動。
現在は市場調査会社に勤務。
結婚後、保護犬フォスターとして活動を始め現在に至る。
趣味は、ジムで体を鍛えること、料理をすること。

特定非営利活動法人アニマルレフュージ関西(アーク)

【2】

◼️…幼い時にアメリカでの生活になりましたが、日本を離れる時は寂しくな かったのでしょうか? 

寂しさはあまりなかったです。
アメリカに行くことがわかっていたので、 保育園や幼稚園に通っていませんでした。

アメリカに行ってすぐに現地の幼稚園に入りました。
次第に現地の言葉(英語)を覚えていったので、
年子の妹とも、日本語の会話が減って、英語で話すようになりました。

いまだに二人で話す時は英語で話してます。 

◼️…すぐに馴染んだのですね。 

週末、YMCAの水泳教室に行っていた他は、
帰ってきた瞬間に、ご近所さんと中庭で集まって遊ぶというような毎日でした。

幼稚園ではアジア人が少ないためか、いろんなことを言われました。

学校で(けなし方など)汚い言葉を覚えてくるので、
家では壁に向かって妹と二人でその言葉を吐き出して(練習して?)いました。

その様子を見て、母は笑っていました。

◼️…小学5年生で日本に帰ってきていかがでしたか? 

算数は、差がありすぎて難しかったです。
それから、日本語が話せず、漢字も読めませんでした。

両親は日本語を話すので、内容は理解できましたが、
こちらから日本語を発するのが難しかったです。

先生たちも、私たち姉妹の勉強をどう進めていくかという会議を週一回開いてくれていたようです。
学校のテストの時は、最初の数ヶ月間、先生が全て ふりがなをつけてくれました。
それがなくなった瞬間に 何もできなくなりました。

また、自分の体験を発表する場面では、
アメリカの生活をお話することになるので、周りに受け入れられるのが難しかったです。

その後、転校した先では、個性的な人がいっぱいいて、
自分のままでいいという学校だったので、助かりました。
高校までの一貫校だったので、なんとか 生き抜けたと思います(笑)

大学は外語大学だったので、いい友だちに恵まれました。

◼️…英語力は保てていたのですか? 

英語力をキープするため家庭教師がいました。

さらに、妹とは英語で会話していたこと、
高校時代に、東京調布にあるアメリカンスクールで
夏休みなどに行われる英語キャンプに
グループリーダーとして参加していたことで保っていました。

英語キャンプのアルバイトは大学に入ってからもしばらく続けていました。 

◼️…逆に日本語はどうやって獲得していったのですか? 

幼稚園児の日本語から、いきなり10代に飛ぶわけですから大変でした。

恥ずかしい思いもたくさんしています。
周りの人と、できるだけ日本語で話すようにしました。

母に言われて、新聞の「天声人語(朝日新聞)」を 毎日読んでいました。
意味がわからないので、泣きながらやっていました。

でも、いまだに漢字は難しいので、
「これ、何て読むの?」とよく聞いていますし、
イントネーションが違うと、よく夫に注意されます。 

◼️…大学を卒業した後は通訳のお仕事をなさったんですね。 

オーケストラやオペラの舞台でのお仕事が多かったのですが、
派遣(のお仕事)で、宇宙関係やIT業界のお仕事もありました。

大きいイベントだと、長野オリンピックでも通訳のお仕事をしました。
近いところで言うと、G7伊勢志摩サミット(平成28年5月)では、
飲食店付きでお仕事をしました。

出産後、仕事はフルではしていませんでしたが、
上の子が中学校に入ったのをきっかけに仕事に復帰しました。

◼️…お仕事と子育てに加えて、保護犬フォスターの活動をなさっています が、やりがいはどんなところにあるのでしょうか? 

これまで20頭の保護犬を預かってきました。

いろんな犬種に出会えますし、
様々な犬の状況について知ることもできるのでとても楽しいし、勉強になります。

子ども達にとっても、 いろんな犬に出会えて楽しめるし、
いろんな状況の犬がいる、
いろんな人間がいることをわかってもらえるのがいいなと思います。 

◼️…たとえばどんな状況の犬がいますか 

たとえば、野良犬は、自分が捕まりたくないから
産んだ後育てずに怖くて逃げちゃう母親犬も多いんです。
それで子犬だけが捨てられていて、保護されてくるわんちゃんもいます。
うちにも 野良犬の子犬が2匹きたことがあります。

珍しい犬種ですと、北海道犬のミックスもいました。

一番最近のわんちゃんは ハチャメチャでわんぱくで、
飼い主さんの手に負えなくなっていました。
それが理由だと思うのですが、
飼い主さんが精神安定剤を7年間、その犬に飲ませてたんです。 

◼️…そういう状況のわんちゃんもいるのですね。 

時々びっくりするようことがあります。

精神安定剤については、
一気になくしてしまうと、体に負担がかかっちゃうので、
少しずつ減らしながら 過ごしていきました。 

20頭、それぞれにドラマがあります。 

◼️…犬の生態で面白いなと思うことはありますか? 

先住犬(せんじゅうけん)がどんな時も強いんです。

子犬がちょっとだけ先にいて、 その後、大型犬が家にやってきたんですが、
子犬の方がドヤ顔で、大型犬に向かって吠えるということがありました。

あまりにも吠えられるので大型犬はシュンとしていました。
数日後、子犬は里親が決まったのでよかったんですけどね(笑)

◼️…保護フォスターの金銭的な負担はどうでしょうか? 

私が所属しているのは、割と大きな団体で
イギリス人の方が立ち上げたもので、海外の役員も多いので
海外の大きな会社からの寄付があったりします。

他の団体でフォスターをやっている方は
全て自腹で飼育料をだすことになるので大変ですが
私の場合は、団体から餌も提供もあり、
医療費も出してくれるので、こちらの負担はほぼありません。

この団体に出会えて本当に良かったです。
良いご縁でした。

◼️…本来は、保護犬がいない方が良い世界と言えるのかもしれませんが、ど うお考えですか? 

もちろんわんちゃんにはその方が良いことだと思います。

でもやはり人間には、いろんな人がいて、 虐待や飼育放棄もありますし、
たとえ良い飼い主さんだったとしても
突然災害があったりすると、やっぱり保護犬が出てきちゃうと思うんです。

ペットは人間たちが勝手に作った環境ですから、責任があります。
でも、誰がどうなるか分からないですから、
急に飼い主がいなくなった時には、
寄り添える人が寄り添っていくのが、人間の責任だとも思います。 

◼️…今後の動物保護は、どうなっていけば良いと思いますか? 

動物はいろんな病気を抱えている場合があって、
それを保護団体としてどう対応していくかも大きなテーマだと思います。

動物保護に関して日本はかなり遅れている部分もあって、
まだまだ改善していかなければならないこともあります。

動物業界、特に犬は、飼うお宅がすごく多いんです。
特にコロナ禍以降、小型犬、中型犬を飼う人がすごく増えました。
ひとたび病気になったりすると
輸血が必要な場合があって血液が足りないと、大体は大型犬が提供します。

日本にはまだ犬の血液バンクがありません。
動物病院にもよりますが、輸血を提供するために飼われている大型犬がいて
その専門の犬で対応したり、ご近所さん同士で輸血するだけです。

犬は血液型が13種類あるので、大変だとは思うのですが、
こんなにペットを飼う世の中になっているので、
そういうところを整えていけたらいいなと思います。

◼️…戸谷さん自身は これからどう関わっていきたいですか?

幸せなわんちゃんをたくさん見られるように活動していきたいです。

飼い主さんは 自分がいなくなった時に 誰に託すかを決めていただくと、
行き場がないわんちゃんが減ります。
ぜひ、それは多くの飼い主さんにやっていただきたいことです。

それでも保護犬が出ちゃう現実があるので、
それに対しては、(私も)家族が許してくれる限り、
いろんなわんちゃんと関わって、
そのわんちゃん達が、より幸せな生活を暮らせるような力になっていきたいです。 

(了)
インタビュアー:鶴岡 慶子
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