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ラジオ出演中
ABS秋田放送 ラジオレギュラー
-あいば歯科の歯でハッピー 月曜日 21:45〜/(再)水曜日16:30〜(2019〜
-みんなの健康 火曜日11:35〜/(再)火曜日18:10〜(2023/01〜
-あいば歯科のインプラント物語 木曜日10:30〜(2019〜
過去に出演した番組
-あさ採りワイド秋田便(2005/07〜2022/03)
-みんなの健康(2005/01〜2015/03)
感激のAWARD
JOQR 文化放送
録音風物誌2009-2010優秀賞受賞作品「波に揺れる春の恵み」
ナレーションを担当しました。
局アナではない自分が参加できるなんて夢のようでした。
同じ年、特別番組「サブ、一緒に歩いていこう」でもナレーションを担当しました。
盲導犬を扱った番組です。
こちらは、北海道東北ブロックで2番だったので、全国大会には進めませんでした。
活躍の場を次々と与えていただいて、2010年は飛躍の年になりました。
朝ワイドラジオの17年
ABS秋田放送「あさ採りワイド秋田便」
オーディション
前任者の降板にともなって、異例の7月新メンバーの募集でした。
番組は6:53〜11:00の4時間生番組で、
前半はニュース、天気、交通情報などのアナウンサー技術、
後半はお便り、インタビュー、音楽などのトーク技術が求められました。
私はプロ司会者なので、メディア経験は一切なく、
オーディション会場でも場違いな感じもありました。
見渡せば、画面で見たことのある方ばかり…。
そう、アナウンサー経験者ばかりだったのです。
試験は、
- 原稿読み
- インタビュー
- 面接 でした。
原稿読みは、奇跡的にスラスラと読めました。
音楽祭と天気の原稿2本だったと記憶しています。
インタビューの題材はハンドボール。
真友の夫が実業団の選手だったのでよく観戦に行ったので、これまた奇跡でした。
かなり突っ込んでインタビューした記憶があります。
面接はよく話を聞くことを心がけました。
大きく見せようとせず、聞かれたことを素直に答えるようにしました。
初鳴き
試験は日曜日に行われ、翌日に結果を知らせる電話がきました。
7月から毎週水・木・金の3曜日担当になるとのことでした。
前任者が3年間続けたとのこと。
それを超えるようにがんばろうと思いました。
初めての日。
ほとんど眠れずにスタジオに行きました。
「おはようございます」と挨拶することにも 声が震えるのがわかりました。
私は司会者なので、目の前にお客様がいない状態でお話しすることに戸惑いました。
誰に向かって話すんだろう?
あまりにも気を張りすぎて、4時間後には、ぐったりしてしまいました。
家に着いて眠り、起きたら19時でした。
次の日の朝がきてしまったと思って「遅刻だ!」と焦ったのを覚えています。
(7月で19時はまだ明るいですからね)
ニュース・報道
ニュース原稿独特の言い回しに慣れるのに時間がかかりました。
司会も声を使いますが、仕事内容はアナウンサーとは全く違います。
原稿を正確に読むことは、高い高い壁でした。
コンビのアナウンサーは、
アナウンス技術を科学しているような人で、的確な指導をしてくれました。
これが、感覚的な指導だったら私はずっと迷子になっていたと思います。
アナウンサーの基礎を叩き込まれたことは幸せなことでした。
フリートーク
アナウンサー技術も未熟なら、
パーソナリティとしての実力があればいいのですが、これまた何を話していいかわかりません。
コンビのアナウンサーが話を進めて「そうですね」と相槌を打つのが精一杯です。
これじゃ、”わたし”じゃなくてもいいんじゃないか?
なぜ選ばれてしまったのだろう…と落ち込む日々でした。
何をどう努力していいか悩みました。
そんな時に助言をくれた人がいます。
あっちこっちのイベントや、ラジオの公開生放送に連れて行ってもらいました。
富士スピードウェイでD-1グランプリをみたり、
渋谷HMVでJ-WAVEの公開生放送を見ました。
そうやって自分で体験したことは、感じたままを自分のことばで話せました。
明らかに聴取者の反応が違ったので、1次情報の大切さを身をもって感じました。
それからは「今日もいい天気だった」で終わる1日がないように、
写真をとったり、メモをとったりしながら
見たこと、聞いたこと、やってみたことを貯めていきました。
17年間
最初の7年8ヶ月はコンビで、残りの9年は独り運行でした。
最終のご挨拶をリライトします。
今年度いっぱいで、ワタクシ鶴岡慶子は、
【あさ採りワイド秋田便】の番組から離れることになりました。というご報告です。
なお、【あさ採りワイド秋田便】は離れますが、
木曜朝 10時30分から放送の【あいば歯科のインプラント物語】や、
月曜夜と水曜夕方の【あいば歯科の歯ではっぴー】は
引き続き担当しますので、この後もご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
初めて、【あさ採りワイド秋田便】を担当したのは、2005年7月でした。
前任の渡辺英智子さんに代わって
月曜火曜が田村陽子さん週の後半 水曜木曜金曜がワタクシということでスタートしたのがその時です。
田村陽子さんも、私もまだ30代でした。
当時は、コンビで番組を進行していて、
私はほとんどの時間を賀内隆弘アナウンサーと。
そして、短い時間ではありましたが、現在「くまもと県民テレビ」の清家康広アナウンサーとも組みました。
2013年からは、一人で進行することになって、今日に至ります。
放送局のアナウンサー経験のない私は、最初は、本当に何もできなかったので、
周りの2倍も3倍も努力しなきゃいけないなと強く思って 過ごしてきました。
このおよそ17年の間、日々全国のラジオを聴きあさりながら、
自分の中に、とにかくインプットする、勉強するということをしてきて
表現の幅を広げること や、ことばを紡ぐこと、そのことばに気持ちを乗せて声を届けること。
この尊さを学べたことは、今、私の大きな財産になっています。
この番組からは巣立つことに寂しさを感じないというと嘘になりますが、
今は、とても清々しい気持ちです。
私が進む道と【あさ採りワイド秋田便】の道。
これは、別の方向を向くことになりますが、番組は続いていきますし、
私にとってのラジオの道や お喋りの道。。。。これが途絶えるわけではありません。
この後も「鶴岡慶子じゃなきゃだめなんだ」という場所を広げていきながら、
鶴岡慶子らしく、歩んでいこうと思っています。
今日も、そしてこれまで およそ17年、お聴きいただき、ありがとうございました。
次の年度にバトンタッチです。