【1】
●…女性の花火師は少ないイメージですが、「壁」はなかったんでしょうか?
まぁ、男社会ですね(笑)。
私よりも、男の人たちの方が抵抗あるかもしれません。
自分は力持ちだと思っていますが、男の人よりは断然劣りますし、
そういう面で気を使わせてしまうこともあります。
女性だからこそできることは何か?とよく聞かれますが
この仕事は、男性がいるからこそできる仕事なので、
私は、助けてもらいながら、できることをさせてもらっています。
女性がみんな問題なくできる…っていう仕事ではないですね。
いい経験させてもらっています。
●…花火は、もともと好きだったんでしょうか?
魅力的なものだなと思っていました。
火の玉を飛ばして演出するなんて不思議だし、
映像ではない、電子にはない魅力があるし、
高校生の頃まで、なんとなく花火屋さんになりたいなと思っていました。
●…美術大学に進んだのは、そういう思いもあったんでしょうか?
正直、花火屋さんとは関係なく….でした。
高校を卒業し、直ぐに就職するという気持ちにはなれず、
当時興味のあった美術大学に通わせてもらいました。
多摩美術大学では、テキスタイルデザイン(布関係のデザイン)を学びました。
主な進路としては、
アパレル関係とかグラフィック系、デザイン系に進む方もいますね。
大学生活を経て、私もアート一筋になっていきました。
卒業後は、作家活動をやっていました。
●…展覧会に出品したりとか?
作品を創って展覧会に出し、いくばくかのお金をいただき、
でもそれでは足りず、アルバイトをしながら活動していました。
柄を描き、それを布に落としこんで
布そのものの美しさを感じてもらえるように、
そんな思いで作品づくりをしていました。
この作品は、さらし木綿に手描きの柄をシルクプリントしたものです。
プリントされたたくさんのさらしを、
光が入り、風が通る会場に展示させてもらいました。
色と光と風、空間そのものを楽しんでもらいたいという気持ちで開いた展示です。
使うためのものでなくても、存在しているだけで、価値のある布、
そんな布に惹かれ、ずっと布関係の作品を手掛けていました。
ただただ魅力あるものを創りたい。
そんな自分の作品を介して、
出会える人がいることは贅沢なことだな、
幸せなことだなと思っていました。
こんな自分の人生はいい人生だなって。
ただ、ふと、この人生をずっと進んでいくのかな?と考えたとき、
以前、自分が花火屋さんになりたいって思っていたことを思い出したんです。
もしそっちの道に進んでいたら、どういう人生だったんだろう?
そう思ったら途端に覗いてみたくなり、
花火屋さんに、アルバイトをさせてくださいってお願いにいったのがはじまりです。
●…アルバイトをしようと思って、出会ったのが伊那火工 堀内煙火店ですか?
アルバイトを募集しているところを検索し、
最初にヒットしたところ。それが ここ(伊那火工)でした。
ここの会社のことを何も知らずに、お世話になることになりました。
今思うと、すごいご縁だったなと思います。
●…実際に入ってみてどうでしたか?
学ぶことが多く、思っていた以上に深い世界でした。
長く長く受け継がれてきたものだからこそ、
知識の面、技術の面、いろいろな面で奥が深いです。
そして思っていた以上に、体力的にしんどい仕事でした。
コロナ禍なので、今は土日休みがあったりするのですが、普通の夏だったら休みはないですね。
夏は「もう死ぬほど眠たい!」って常に思っています。
ぎりぎりです(笑)
なので一番強く感じるのは、
ちゃんと身体を整えておかなきゃいけないなということですね。
●…他にびっくりしたことはどんなことですか?
配合研究、花火を作るところから始めて、プログラムを組んで、
花火をセットして打ち上げる、片付けをし、掃除までしっかりする。
全部一通りやることですね。
これは、今の社会で珍しいことだと思うんです。
例えば、
花火玉を作る会社打ち上げる会社
筒をレンタルする会社
プログラムする会社 とか
分業されていてもおかしくないと思うのですが、
花火に関わるすべてのことを、
始まりから終わりまで責任もって手掛けている。
一つのことをすべてやるという形がすごいなと思います。
各花火業者にそれぞれ門外不出の技術や、
火薬の配合方法があり、
守るべき伝統があるから、
こういう流れを生んでるのかもしれません。