みやもと あきこ

宮本 亜希子

Founder of Nihongo-de-USA. LLC
Vice President, Central Ohio Japanese Association of Commerce
Founding President, Asian Real Estate Association of America Columbus Chapter
Certified International Property Specialist
東京都文京区出身。
早稲田大学文学部在学中に、東京を拠点に外資系企業に講師の派遣を始める。
その後、主に北米の会社の日本でのビジネスの立ち上げを支援。
北米の自動車部品メーカー、アメリカを拠点に活動する北欧テキスタイルデザイナー、カナダのスイムゴーグルメーカー、日本のテキスタイルメーカーを初め業種を問わずいろいろな分野の市場進出を支援。
2010年、オハイオ州コロンバスに拠点を移し、不動産投資会社他創設。
2011年、不動産資格を取得。 コードウェルバンカー(米国で100年の歴史を誇る世界最大級不動産会社)に所属。
2012年、コードウェルバンカーキングトンプソン新人エージェント350名の中で1位の取引高を記録。
新人賞、所属メトロオフィストップ10 他3賞を受賞。
2013年、コロンバスリアルターズ ミリオンダラークラブセールス賞、受賞。 所属メトロオフィス、トップクロージング賞他3賞を受賞。
2014年、所属メトロオフィス、スモールチーム、トップリスティング/セリング/クロージング賞他2賞を受賞。
2015年6月、住宅売買仲介取引件数全米一位を誇るリーマックス、ダブリン市ダウンタウンにあるオフィスに移籍。
10月にリーマックスのコロンバス地域月間売上トップ3に。
コロンバスリアルターズ 5ミリオンダラークラブセールス賞、受賞。
2017年5月にリーマックス、オハイオ州北/中部で月間売上トップ1位を記録。 コロンバスリアルターズ10ミリオンダラークラブセールス賞、リーマックス、チェアマン賞を受賞、北、中部オハイオ地域年間売上トップ3。
2018年リーマックスHall of Fame賞。
現在も人脈ネットワークを拡大しながら活動中。
ミシガン出身の夫、東京生まれの長男、コロンバス生まれの次男と ホームステイの学生達とコロンバスのクリントンビルに暮らす。

[認定]
2012 Short Sales and Foreclosure Certification Program (SFR)
2013 Certified Negotiation Expert (CNE)
2018 Certified International Property Specialist (CIPS)

Nihongo-de-USA. LLC

【2】

◼️…アメリカでのビジネスはどのようにスタートしたのでしょうか?

私は企業に勤めたことがないので、
自分が東京からオハイオに来た時にも
どこかに勤めようという考えは全くありませんでした。

それよりもここで、どうやってお金を稼ごう?
私にできることは何だろう?と考えました。

全然知らない土地で、 唯一得た情報が
アメリカでも 第2位の学生数を誇るマンモス大学が
うちの近くにあることでした。

マンモス大学と私ができることは何かというと、
私が一年間ホームステイして
アメリカに留学した時のあの体験だろうと思いました。

その大学にも必ず留学生がいるはずだから、
我が家に留学生をホームステイさせようと思ったんです。

寝室が2つある家を借りていたので、
1つを貸そうと思って、
ホームステイ ファインダー ドットコム*に登録しました。

*ホームステイ ファインダー ドットコム:ホストファミリーと留学生がお互いを見つけるサイト

うちの家賃が950ドルだったので
家賃設定を(その半分弱の)450ドルにしたら、一週間でリビアの留学生が来ました。

一週間で簡単に決まったということは、安かったんだろうと思って、
今度は500ドルに上げてそこに登録してみると、
これまた次の一週間で 今度はインドネシアの留学生が申し込んできたんです。

家賃950ドルで、留学生の家賃が450と500で貸せば家賃がトントンになるわけですね。
私は別に仕事はしてないのに、住宅費用がプラマイゼロになりました。

2番目の留学生も一週間で来たってことは
500ドルも安かったんだろうなと思って
(部屋はないけれど)550ドルで出してみたらどうなるか?と試したら問い合わせが来るんです。

それで、部屋数の多い家に引っ越すことにしたのが今の家です。

◼️…そのことが、不動産の資格をとるきっかけになったのでしょうか?

実は、その夏10人の留学生を断ったんです。
これは機会損失だと思いました。

そこで、近所のアメリカ人の家をノックして
一部屋貸しませんか?と言って留学生を入れ始めたんです。
ただ、個人でやっている分にはいいけれど、
人の住宅を斡旋して利益を得るとなると話が変わってきます。

不動産仲介人と提携を結ぶことも考えたのですが、
結局、自分が資格を取ることにしました。

◼️…資格を取るのは大変でしたか? 

不動産と法律、査定、経済といった講座を受けて、修了してはじめて資格試験を受けることができます。

最短で修了したくて、一気に授業をとったので、
勉強が大変といえば大変だったかもしれません。

子どもがまだ小さかったので、
夫にも協力してもらって、私が夜学に通う生活をしました。
その後、州の資格を取るために、ブローカーに所属して
8週間ぐらい、毎日授業を受けたり、プレゼンをしたり、
自分でも営業の電話を実際にかけたりしました。

私はこの地に来て、半年程度なので誰も知り合いがいない。
だから電話かける人もいない。
それでも、夫の仕事の関係で、ホンダやその関連会社に広がっていきました。

◼️…そこで見えてきたものは何ですか? 

会社のルールとして、そもそも駐在員は家を買っちゃいけないということでした。
誰も家は買ってなくて、みんな借りているということが見えてきました。
だったら仲介士は要らないわけです。
売買の仲介じゃないと収入になりません。

そんな時、家探しで困っている方に出会いました。
無料で家を探してもらって入った家から今すぐに出たい、
そして新しい家を探して欲しいというものでした。

私は大家さんの家を預かってるわけではないので、無料ではできないと話すと、
お金を払ってもいいから、お願いしたいと言われたのが最初の仕事だったと思います。

◼️…そこから”賃貸物件”探しが始まるんですね? 

幸いこの時は、お客様自身が探してきてくれて
大家さんとの交渉を代行する仕事だけで なんとか、おさめることができました。

この頃、リーマンショック後の住宅市場がちょうど回復し始めた時期でした。
それまでは売るに売れない大家さんが 駐在員に貸していた物件が
どんどん売りに出されていく時期だったんです。

需要はあるものの、供給がない。
家を借りたい人はいるものの、貸す家がないという状態でした。

◼️…そこからどうなさったんですか? 

家に投資したいと話していた人がいたのを思い出したんです。

まだ不動産の仕事をしてなかった時に聞いたので、
当時は何とも思いませんでしたが、これかもしれない!と閃きました。

ここから(投資家さんが)買った家を賃貸物件として貸し出すというビジネスが始まりました。

◼️…(その閃きは)具体的にはどんな内容ですか? 

お客様に何が必要なのかを聞くと同時に、
先回りしてこうだったらいいんだろうというものを用意しました。

例えば、日本人がアメリカに来て思うことの一つに、照明が暗いということがあります。
アメリカでは、天井に明かりがない家が普通なのですが、
家賃を多く払うので、天井照明をつけてもらえませんか?や、
シャワーしかない物件に浴槽をつけてもらえませんか?など、
お客様が欲していることを交渉してあげること
そして、退去して保証金が返還するまで見届けることを丁寧にしていきました。

◼️…辛いと思うことはありましたか?

おうち探しといえば宮本さん」と言われるぐらいになって、
お客様もビジネスも入り続けるのですが、
2人の目の子も生まれたタイミングで時間が足りないと感じました。

子どもが赤ちゃんの時は、夜 起きるんですね。
起きて、また寝てくれるまで、仕事のことを考えるんです。
私って、夢の中でも仕事してるんだなって思いました。

お金は入るけれど休みがない。
仕事は全然辛くないのに、味気なく感じた時期がありました。

投資家さんと賃貸物件を作っていくことは、やはり大変なことで
なんとなくエンドレスな気がしました。

どこまで行ったら終わるんだろうと思うようなところもあったかもしれません。

◼️…どうやってその気持ちを乗り越えたのですか?

そうは言っても、決して気持ちが沈んでいたわけではなかったです。

自分でもいろんな努力をしていましたが、
コーチングをしてもらってあぁ、そういうことなんだっていうのを教えてもらいました。

そもそも、仲介を始めたり、仕事を始めた理由も
全然知らないところに来て、知らない人の中で
「誰かになりたかった」んですよね。

誰かになりたいっていう原動力で仕事をしていたので、
「おうち探しといえば宮本さん」というゴールには達成してしまった、ということだと教えてもらいました。

そこまで使っていたエンジンではなく、
今、次のエンジン、次のエネルギーを探している。
「ここから」を原動力にした人生に変えていかないと、
このままふらふら宇宙遊泳を続けるだけだと言われたんです。

会社がビジョンとかミッションを作るように
私の人生のビジョンとミッションを一緒に見つけてもらいました。

それまで一人でやっていたので、
会社のビジョンやミッションを明確には打ち出していませんでした。

ですから、会社よりも先に、私の人生のビジョン、ミッションを作りました。

その人のことを見てあげて、
その人に必要な安心する空間を作ってあげることでその人が可能性を解き放つ。
これって、不動産で家を探すことと全然違いますよね。

それも私のコアミッションの一部です。
そこが終点ではなくて出発点なんです。

これが今の起点になっています。

◼️…明確にしたら、変わりましたか?

変わりました。

それまでも日本人のスタッフ入ってきてたんですけど、
なかなか定着してくれなかったんです。
私がここまでのことを考えていなかったからだと思います。

家探しがミッションだとスタッフが家探しを手伝ってくれないと
どうしてできないの?という具合になります。

でも視座を高めることによって、
この人は何ができるのか?
この人はどうしたら成長させてあげられるのか?という考え方になります。

そんな風に見てもらえれば、スタッフも
どうやって会社に貢献できるかという働き方になる。

多分、それで社員も定着するようになってきたし、
組織化できるのも、私自身が、現場を離れられるのも、
こういう考え方ができるようになったからだと思います。

そうでなければ、どこまでも「私がやっている商売」になってしまって、
現場は離れにくくなったのかなと思います。

◼️…今は、拠点が何ヶ所ですか?

7拠点です。

ここ、オハイオ州だけではなく、
インディアナ州、アラバマ州、ミシガン州、ケンタッキー州、カンザス州、メキシコです。

2024年5月 ミシガン州

州が違えば、法律が違います。

それぞれに仲介資格やブローカー資格を持っているパートナーがいます。
加えて、東京にもスタッフがいます。

◼️…今後の夢や目標を教えてください。

日本は、アメリカへの直接投資額が世界で一位なんです。

アメリカの経済は、すごく大きいので、
日系企業も相変わらずアメリカに直接投資をしていて、
今後も工場を建てて事業所を開いていくと思います。

となると、やはり会社の立ち上げの時や、オペレーションにおいても
日本の駐在員はずっと来続ける。
結果、私たちが求められ続けると思います。

これまでも、オハイオでやっていることを私たちの州でもやってください
求められて大きくなってきたので、
私たちがお手伝いできる地域がこれからも増えていくのだろうと思います。

また、日本を楽しむ場所「ジャパンタウン」を作る構想があります。
これは、まだまだ始まったばかりです。

◼️…ジャパンタウンはどんな場所になるのでしょうか?

日系の駐在員のほか、出張者はものすごい数がいて、
ビジネスホテルに泊まって仕事をしています。

でも出張者は、危ないからというので、車を使わせてもらえません。
アメリカの場合は日本と違ってホテルの近くにコンビニがあったり、
そば屋があったり、飲み屋があったりしない。
だから車がないと、もうその瞬間、世界が自分から気に切り離されてしまいます。

これを解消するために、ビジネスホテルが建ったけれど、
コロナ禍でロックダウンのようなことが起きると、
日系企業の出張者が来なくなってホテルが存続できなくなります。
それで考えたのが、地元のコミュニティとしての場を作ることです。

日系企業に働く駐在員の人も、出張者も
ホテルだけじゃなく、ちょっとそこに酒蔵があったり、レストランがあれば、
そこで交流が生まれます。

日本の環境がアメリカの中にできれば
アウェーにいながらホームビジネスができるでしょう。

まずここオハイオで始めて、成功事例を持って他に回っていきたい。
全米、もしかしたら世界に、宇宙に繋がっていくかもしれないですよね。

◼️…壮大な計画で、時間もかかりますね。

自分一人でできることには、限りがあります。

日本語の講師の時も、
ホームステイの時も、
今の事業もそうなんですけど、
一人でできることには限りがあるんです。

企業の命は、私の命よりも長いので、
企業を持続させようと思ったら、私が描いた(夢の)絵に誰かを乗せなきゃいけません。
それは、後年になってから考えるのではなく、
元気な時から一緒に絵を描いていかなきゃいけません。

ジャパンタウンについては、「僕がやりたい」と長男が話しています。

彼はこの後、ビジネスと土地開発を大学で学ぶ予定です。
大きな夢は、一人の人生だけでは果たせない。
でも先が繋がったという思いです。

前へ前へつなげていくこと。
同じ夢を見せていくこと。
どうやったらそれを実現していけるのか。

これからも私の人生のコアミッションに向かって歩んでいきます。

(了)
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