おおぎだ やすこ

扇田 泰子

秋田県比内町(現・大館市)出身
チェコ・プラハ音楽院およびプラハ芸術アカデミー卒業
チェコ滞在11年の後、日本へ帰国
音楽事務所「プリナールナ」主宰
トランペット演奏、指導の他、コンサート企画・コーディネート、通訳・翻訳も手掛ける
秋田県美郷町在住。2児の母

  yasuko-plynarna.com

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@yacchu_jasicko

【2】

◼️…チェコでの日々から日本に戻るとき、どんな気持ちや理由があったのでしょうか?

気がつけば11年もチェコに住んでいました。
プラハ音楽院を卒業後、さらにプラハ芸術アカデミーに進学し学び続けました、
演奏の仕事も入ってくるようになり、友人や仲間も多くできて、
なんとなくそのまま、チェコに住み続けるのだなと思っていました。

しかし、最後の1,2年、自分の状況を冷静に、客観的に見ると
オーケストラへの本就職ができいるわけでもない、フリーランスとして安定して仕事が入ってきているわけでもない、
毎年同じタイミングで学校では試験を受け、
学生としてはただ学校側から最低限求められていることをこなしているだけ…。

なんというか、自分からやりたいことに向かって一生懸命になっている自分の姿はもうどこにもなくて、
生きることに精一杯で、毎日ただただ「課題」としてやるべきことをこなしている(またはこなせていない)自分がいました。
自分の意志で何かをしているのではなく、「なんとなく」毎日を過ごし、1年を過ごし、気づけば数年。

コンクールを受けたりもしていましたが、成績が伸び悩んだり、
オーディションなどの大切な機会ではコンディションをくずしてうまく演奏できなかったり
思い通りにいかないことも続きました。

今思えば、精神的にも体力的にも疲弊していたんだと思います。
これはまずい、と思いました。
そして、物事がうまくいかないのは自分のせいだ、今の自分はとてもよくない状態だ、と気づき、
自分をなんとしてでも変えなければいけない、と思いました。
ちょうど、自分が30歳を迎え、プラハ芸術アカデミー学士課程を卒業するタイミングでした。
実は修士課程への進学試験をすでにパスしており、学校へ在籍し続ける予定だったのですが、
突然、日本へ帰国し人生をリセットしようと思い立ちました。

音楽は大好きだけれど、今の私にはよい音楽を奏でることはできない。
一度音楽から思い切り離れて、まったく別のことをしなければ…。
そう思い、思い切って全くの別分野の仕事を行う日本の会社を志望し
面接を受けるために1泊2日で日本に戻り、
なんと文字通り「根性」で内定をゲットすることができました。
(この時の旅費は一時的に友人から借金をしました。感謝しかありません。)

アフリカを専門にメディアコーディネートを担う、東京の会社でした。
音楽とは全くかけ離れた世界で、通訳やコーディネートの仕事をとする。
社会人として、ちゃんと「就職」したことがなかった私には、
会社員としての業務・生活は未知のもので、最初のころは戸惑うことばかりの毎日でした。
芸術分野のみで生きてきたこと、そして11年間チェコに住んでいたことにより、
日本語の話し方がぎこちなかったリ、語彙が少なかったり、
クライアントをはじめとするビジネス関係者とのコミュニケーションや距離の取り方がわからず、
上司に叱られたり、思い悩んだりすることも多かったです。

このような経験が今の私につながっています。
この、東京で会社員として生活した約2年間、
最優先は仕事、そして音楽、トランペットは二の次となり、
このことが私にとって大きなストレスとなっていました。

自分自身も知らなかった、私自身の中での「音楽」の存在の大きさに気づかされた時期でした。

◼️…秋田に拠点を移された経緯を教えてください。

秋田での暮らしはまさに結婚がきっかけでした。
夫が秋田で家業を継いでいることもあり、私も「お嫁入り」という形で秋田に戻りました。
とはいえ、秋田も広いもので、生まれ育った県北部からはだいぶ離れた県南部の美郷町での新しい生活となりました。

初めての土地で、夫の実家への嫁入り。
それまで、よくも悪くも一人で生活し、大変だったとはいえ自由気ままに生きていた私にとっては
まさに生活の何もかもが変わる機会でしたが、一切の不安もありませんでした。
夫は地元でジャズオーケストラを立ち上げるなど音楽活動を目覚ましく行っておりましたし、
地域おこし活動もしていて、その仲間の皆さんがとても個性的な方ばかりで魅力的で。
秋田に戻ったことで新しい仲間・価値観と出会うことができました。

結婚してすぐに妊娠・出産があり、また音楽とは離れる時期が続きましたが、
その間ヤマハの講師資格を取り、秋田市の音楽教室で教えることになったり、
夫と共に演奏活動を始めるなど、秋田での音楽活動や指導も徐々に本格的になっていきました。

まさに田舎に嫁入りした私ですが、地域の人々と触れ合いながらも自分のペースを消して崩さす
この土地の良いものを吸収しながらも、自分の信念からブレずに子育ても仕事も楽しむことを大事にしています。
夫は私の良き理解者であり、ビジネスの先輩であり、共に演奏活動をする同志であり、
私のことを誰よりも応援してくれる最高のパートナーです。
家族や地域の皆さんのおかげで、子育てと仕事を両立できていることを身にしみて感じています。
こうやって好きなことをすべてできるって、本当にありがたい事です。

◼️…コロナ禍はどのように過ごしていたのでしょうか。

コロナ禍は、私にとっても本当に特別な時間でした。
音楽家としての活動が制限され、それまで毎日のようにあったリハーサルや本番・指導がが突然ゼロになり、
もちろん戸惑いましたが、パンデミックでは当然のこと、と思い、
まずは得体のしれぬ感染症から自分と家族を守らねばということで頭がいっぱいでした。

実は夫の家業の一環でそれまでも消毒液の販売をしており、コロナ禍ではそちらがものすごく忙しくなりました。
私も会社の一員として、受注・発注・発送などの管理を手伝い、
楽器に触れる暇もないくらい、毎日バタバタと過ぎていきました。
演奏活動ができない寂しさや焦りはありましたが、
仕事の忙しさや未知の感染症からどのようにして身を守るかということに
神経をとがらせていたことがそれを忘れさせました。
そして、家族と一緒にいられる時間の大切さ強く感じました。

コロナ禍という時期を過ごしたことによって、
自分にとって大切なものを気付かされた気がします。

それからまた少しずつ演奏活動や指導も再開できるようになりましたが、
あの期間に感じたことや気づいたことは、
これからの音楽人生にもきっと生きていくと思っています。

◼️…トランペットの魅力はなんでしょうか?

トランペットの魅力は、一言でいうと「音の明るさ」と「存在感」だと思います。
やっぱり“パーン”と突き抜けるような音は、聴く人にもすぐ伝わりますし、
吹いている自分自身もとても爽快な気持ちになります。

明るくて、華やかで、楽器自体がすごく前向きなパワーを持っている。
だけど、それだけじゃなくて、柔らかい音色や優しい表現もできるんです。
思いきり強く吹けば空に突き抜けるような音も出せるし、
そっと息を入れれば繊細な響きにもなる。
一本の楽器で本当にいろんな表情を持っているところが、
トランペットの最大の魅力だと感じています。

それと、「ごまかしがきかない」楽器なんです。
少しでもミスをしたらすぐに聞こえてしまうので、緊張感が常にあります。
100か0みたいな世界ですけど、逆にその潔さが私は好きです。
音を外してしまったら、堂々と「失敗した!」と認めるしかない。
そういうところも含めて自分らしく演奏したいなと思っています。

それから、トランペットに限りませんが、やはり怠けていては良いものは生まれません。
謙虚に練習し続けることは、決して自分を裏切りません。
ただし、生徒にもいつもいいつづけていますが、
「これをやってさえいればうまくなれる」なんてことはもちろんなくて、
自分を常に客観視し、自分の音を聞き、考え、感じながら必要な練習をしていかなければ意味がありませんね。
これからもトランペットを通して、いろんな場所でたくさんの人に音楽の力や喜びを伝えていきたいと思っています。

◼️…演奏や活動を見てもらう上で大事にしていることはどんなことですか?

演奏家としては、「音楽を届ける」ことを一番大事にしています。
うまく吹くことだけが目的じゃなくて、その場で生まれる空気や、
自分の感情も全部乗せて、お客さんと一緒に音楽を作るような感覚です。
だから、ジャンルにもあまりこだわらず、
そのときの場の雰囲気に合わせて演奏するようにしています。

そして、お客様には「素直な気持ちで受け止めてもらいたい」です。
私の演奏を聴いて、「好きだな」と思ってもらってもいいし、
「あまりピンとこなかったな」と思ってもい。
どちらも大切な感情だと思うんです。

大事なのは、その気持ちに自分で正直になって、嘘をつかずに感じてもらうこと。
それが、演奏家として一番嬉しいことなんです。

演奏するときは、肩書きや学歴、周りの評価じゃなくて、
「今、その場で感じたこと」をそのまま受け取ってもらいたい。
音楽って、難しいものじゃなくて、
もっと自然に心で感じるものだと思っています。

それから、クラシックの曲でも、演歌でも、子ども向けの曲でも、
ジャンルにとらわれず、「聴いてくださる方の心が動く瞬間」を大切にしています。

子どもたちやご高齢の方の前で演奏することも多いのですが、
そういう現場では、お客さんの素直なリアクションが返ってくるのが本当に嬉しいです。
例えば、演奏中に手拍子をしてくれたり、一緒に口ずさんでくれたり──そうした「その場の自然な反応」が、私にとって最高のご褒美です。

どんな場所でも、どんな依頼でも、
できる限りその場に合わせて演奏を届けたいし、
「あ、この時間楽しかったな」と思ってもらえれば、それで十分です。
自分の演奏が、少しでも誰かの日常のなかに温かい記憶として残ってくれたら、何より嬉しいですね。

◼️…演奏と講師の他にも力を入れている活動はありますか?

演奏と講師のほかにも、イベントの企画やコンサートのコーディネート、それから通訳や翻訳の仕事もしています。

演奏活動は、自分のライフワークの中心です。
依頼があればどんなジャンルでも演奏しますし、場所にもこだわりません。
コンサートホールはもちろん、学校や福祉施設、地域のイベント会場、カフェ、時には屋外での演奏もあります。
クラシックだけでなく演歌やポップス、子ども向けの曲や、
最近流行っている曲まで幅広く、
そのとき一番喜んでもらえる音楽を届けたいと思っています。

講師活動としては、ヤマハの講師として稼働するほか、
自宅でのレッスンもしています。
生徒さんは本当に幅広くて、小学生や中高生の部活動の補習、
昔やっていた方の再チャレンジ、
そして70代になってから新しく始められる方もいます。
「やってみたい」という気持ちがあれば、年齢や経験に関係なく、
一人ひとりに寄り添った指導を心がけています。
小さなお子さん連れの保護者の方にも
「気にしなくて大丈夫ですよ」と伝えて、柔軟にレッスンしています。

レッスン風景

イベント企画やコンサートコーディネートも大切な活動です。
音楽事務所「プリナールナ」を立ち上げてからは、
秋田とチェコをつなぐ文化交流イベント、
自分の師匠を招いてのワークショップやコンサート、
地元の小中学校へのアウトリーチ演奏など、さまざまな企画を手がけてきました。

プログラムづくりや人材手配、会場運営、
時には広報や舞台裏の段取りまで自分で行っています。
「こんなコンサートをやったら楽しいだろうな」と思ったことを、できるだけ実現するようにしています。

そして、チェコに長く滞在していたこともあり、
チェコ語の通訳・翻訳の仕事も時々いただいています。
たとえば海外の音楽家を日本に招くときや、
逆に日本からチェコに演奏家が行くときのサポート、
国際的なイベントの現場での通訳なども行うこともあります。
音楽と語学、両方の経験が生かせるのはとてもありがたいことだと思っています。

2023年4月チェコの師匠を招聘・美郷町立六郷小学校

こうして振り返ると、自分の活動の軸はやはり
「音楽を通じて人と人、地域や国をつなぐこと」だと感じます。
演奏する人も聴く人も、そして運営やサポートに関わる人も、
みんなが笑顔になれる場を作りたい。
そのために、これからも自分のできることを少しずつ広げていきたいと思っています。

◼️…今後の夢やビジョンを教えてください。

音楽を通じてもっと“たくさんの人や場所とつながっていくこと”です。

自分の原点である演奏活動を大切にしながら、
音楽事務所「プリナールナ」を通じて、
秋田や日本各地、そしてチェコなど海外とも、もっと文化や人の交流を深めていきたいと思っています。

2023年4月チェコの師匠・ワークショップ

「プリナールナ」は2019年に立ち上げたばかりの小さな事務所ですが、
ここから生まれる出会いやプロジェクトを一つひとつ大事に育てていきたいです。
これまでも音楽を媒介にいろんな方とつながる場を作ってきました。
これからも、例えばチェコと秋田をつなぐ新しい企画や、
地元の子どもたちやお年寄りにも
音楽をもっと身近に感じてもらえる活動を広げていけたらと考えています。

子どもを連れて演奏会

私自身、今は子育て真っ最中で、
乳飲み子を抱えながらの毎日ですが(笑)、
それでも少しずつ、「できる前提」でチャレンジしたいと思っています。
どんな環境や制約があっても、
自分にできることを一つずつ増やしていくことが私の目標です。

そして、「家族みんなで笑顔でいられること」が何よりも大事です。
家族それぞれが自分の好きなことをしていても、一緒にいる時間にみんなで笑って過ごせたら、それが一番幸せだな、と。
音楽も家族も、どちらも私にとってかけがえのないものです。

演奏のご依頼やイベントのお話、「こんなこと一緒にできないかな?」というご相談も大歓迎です。
遠方でも、どこへでも出向きます!

今は小さな子どもがいるので色々工夫が必要な場合もありますが、
「どうにかしてみせます!」という気持ちで取り組んでいます。

これからも音楽を通して、
多くの人と出会い、つながり、笑顔が広がっていくこと。
それが私の一番の夢であり、ビジョンです。

夫とのユニット

(了)
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