• 前編

    内海恵美子さん【ライフコーチ(パーソナルコーチング)】

うつみ えみこ

内海 恵美子

東京都世田谷区出身。2004年から福岡在住。
現在は福岡の海辺で「職住融合」で、暮らしながら、
アラフォー・アラフィフからの女性が、自分らしく軽やかに生きるための
セッション・小規模コミュニティ、ワークなどのサービスをオンラインで提供中。

人生の波乗りサポーター えみを
 @emiwoutsumi
  @emiwo.u

内海恵美子さん【ライフコーチ(パーソナルコーチング)】

079 人生は、思い通りに進まないからこそ、偶然に導かれて思ってもいなかった世界に出会うもの。その流れをつかもうとするところに、人生の宝物がある。

【1】

◼️…福岡への移住のきっかけを教えてください。

付き合っていた彼(現在の夫)の転勤がきっかけです。

結婚は、年の差(彼が9歳年下)だったこともあり、家族や友人には心配されたり反対もされました。
正社員で、それなりのポジションもいただいていたので、
行った先で彼と離れることになったらどうするのか?と、本気で心配してくれたんですね。

でも、私は、離れて暮らしているより、向こうへ行って、
終わったら終わったで「しょうがないじゃん」という気持ちでした。
行ってダメになるより、このまま離れ離れでいる方が、ずっと嫌だと思いました。

そこからすべてをリセットして、福岡に移住して結婚しました。

◼️…現在はどんな活動をしていますか?

2011年から個人事業主として、コーチングサービスの提供をスタートしました。

最も迷いの多かった頃の自分の経験や、気づき、学びを活かして
大人女性を対象に、恋や結婚、人生全般について、セッションや講座を提供しています。

福岡を起点に、東京・大阪への定期的な出張セッションも行ってきましたが、
現在はオンラインを中心に行っています。

◼️…(ご自身の経験を活かした活動というと)まず、どんなお子さんでしたか?

暇があれば駆け回っている子どもでした。
走るのが速くて、運動会が大好きなタイプでした。

母の話だと、「よーい、どん。走れぇ」と言って、男の子たちを従えていたそうです。
女の子のことは守ってあげたいと思っていました。
内気な子や、からかわれたりする子、転校生で馴染めない子の世話をしたいタイプでした。
正義の味方になりたかったんですね。

そうやって外を走り回っている割に、物を書くのは好きでした。
「先生の字が綺麗で好きです」と手紙を書いて、お返事をもらって嬉しかった思い出があります。

中学は、運動一色でした。
体育の先生が目をかけてくれて、区の大会、東京都の大会で活躍しました。
将来は体育の先生になろうと思って、高校もそのように選びました。

高校は、さらに運動一色の生活になっていきましたが、それが自分には合いませんでした。
東京都中から中学ナンバーワンの子たちが集まってくるので、
私は、運動するのは好きだったけれど、ずば抜けた才能があるわけじゃない、ということに気づかされました。

子どもにしては背が高く、成長が早かったから、
運動神経がすごくあるように見えていただけだったと思います。

さらに、厳しい上下関係のある生活にも馴染めませんでした。
やめようとも思いましたが、中学時代にお世話になった先生の顔が浮かんだり、
やめてどうするんだろう?と考えても、10代の私にはどうすることもできなかったんですね。

早く学校からも、親からも解き放たれて、自由になりたい。
自分で収入を得て生活したいという思いが強かったので、大学には進学しませんでした。

◼️…就職してどうでしたか?

いわゆる「OLさん」になって、幸せでした。
電話応対や受付、一般事務の仕事です。
給料はそんなに高くはなかったけれど、
おしゃれをして、自分の好きなことができる喜びは大きかったです。

25歳になる頃、周りは結婚、出産、あるいは留学したり、資格を取ったりしている。
私も、「やりたいことはこれだったのか?」と悩むようになりました。

◼️…そこで、どんな選択をしたのでしょうか?

当時夢中になっていたスキーのインストラクターになろうと思って、
会社を辞めて、長野に行きました。
そこで1シーズン過ごして、東京に戻ってきました。

戻ってきた後は、派遣社員で働きながら司会業を始めました。
友達の結婚式で司会者の方を見て、面白そうだなと思っていたところ、
元NHKのアナウンサーで、結婚式の司会者として活躍されている方に、
マンツーマンでレッスンしてもらえることになり、
発声や滑舌から始まって、打ち合わせの仕方や台本の作り方など、基本を学びました。

ちょうど派遣先の会社が結婚ラッシュだったこともあり、
ありがたいことに、たくさんご指名を頂きました。
それを録音して先生に聞いてもらい、ブラッシュアップしていくうち、仕事が増えていきました。

時代はレストランウェディング、ハウスウェディングになってきていて、
ブライダルプロデュース会社の立ち上げにも関わりました。
ウェディングプランナーもまだこれから学んでいく時で、
結婚式を一緒に作り上げていく感じが、面白いなと感じていました。

結婚式場やホテルウェディングは、スタッフが段取りをやってくれますが、
レストランやハウスは司会のことばで場が進んでいきます。
すごくやりがいを感じました。

司会の仕事がどんどん入ってくるようになると、
フリーランスということもあり、断りたくないので、
多少しんどくても引き受けるという流れが続きました。
それで無理しちゃったんですね。
倒れちゃったんです。

司会の仕事は 少し抑えようと思いました。
その時私は35歳でした。