なつみ まき
夏海 真希
【2】
◼️…社会保険労務士(社労士)になるのはどんなきっかけがあったのでしょうか?
卒業後、大阪の本町でOLとして働き始めた時に、
人事総務に配属されたのが運命の分かれ道でした。
優しい先輩に恵まれて丁寧に教えていただき、仕事内容も向いているなと感じました。
「士業なら独立して、沖縄と大阪を行き来しながら仕事ができるよ」という、昔から支えてくれる友人の言葉に背中を押されました。
振り返れば、書類仕事が苦手だった父に代わって、小さい頃から私が役所へ手続きに行っていたんです。
私も誰かの人生を直接サポートできたら。
そんな想いで、社労士事務所に移り、朝4時に起きて勉強し、夜は終電まで働く生活を3年続け、ようやく資格をいただくことができました。
開業してから今日まで、同じころに開業した仲間やお客さんがずっと支えてくださり、今の私があります。

◼️…どんなバランスでお仕事をしていますか?
平日は社労士として困っている方の相談に乗り、
週末は沖縄三線と歌で、音楽を通して少しでも皆さんの癒しの時間になればと思っています。
大阪と沖縄、二つの故郷にお客さんを持ち、行き来するこの多い生活ですが、
そんな自由なスタイルでいられるのも、
応援してくださるお客様や理解してくれる家族がいるおかげだと、いつも心から感謝しています。
◼️…子育ては、どう工夫されていますか?
朝はお弁当作りから始まり、お迎えの後はできるだけ子どもと遊ぶ時間を大切にしています。
現場に子どもをよく連れて行きますが、それは周りの皆さんが支えてくれるからこそ、です。
この間、秋田県のホテルに歌いに行ったときには地元のベビーシッターさんに大変お世話になり、
仲良くなって年賀状までもらい、そんなご縁も嬉しくて、また歌いに行きたくなります。
これまで、81歳になる父がずっと子どもの世話をしてくれました。
父が「音楽を頑張れ」と言ってくれるのは有難いのですが、
でももう、さすがに父を休ませてあげたくて(笑)。
今は母のサポートも細やかなケアマネさんと相談しながら、
両親が沖縄でゆっくり過ごせるよう、住みやすい環境への準備を一緒に整えています。
◼️…音楽のルーツや三線への想いをお聞かせください。
本格的に学ぼうと、新﨑松秀会長の最後の弟子として3年間お稽古し、
受験者が2500名程いた中で1位でグランプリをいただけました。
大会用に歌と三線の練習を頑張って無事に歌えたのですが、
その日のコンクール終わりで、結果が1位と発表されて、嬉しいやらホッとするやら。
実はその発表では終わらず、
今から全員の前で、テレビで独唱できるかの想定しての見定めや選考会をするので
今からもう一回舞台で歌う様に言われたんです。
まさか今からテレビの選考会‼︎ってびっくりして気が動転して。
みんなの圧が凄くてプレッシャーで負けてしまい、
聴かせどころの3番で歌詞が飛んで真っ白で固まりました(笑)
真っ赤な顔をした師匠が大声で、舞台から降りろー‼︎って怒鳴られて(涙)
深々と礼をして下がりましたが、死んだ気持ちでした。
取り消しかなと寝れない1週間を過ごしました。
その後、収録の日程のお話が来て、生きた心地がしませんでしたね(笑)
この時は師匠の稽古もさらに厳しくなり、
ハモる方やサポート演奏まで用意していただいたので、
私が止まったら終わりだという恐怖心でもう一つ練習を重ねて(笑)
当時できたばかりのホール、沖縄のなはーとの舞台で、
たくさんのカメラや照明が照す中、お盆特番のテレビ収録を終えて、
無事に放送されて、周りから見たよ~‼って連絡もらったときはホッとして、
すぐ師匠にお礼の電話をしました(笑)
もし歌詞が飛んだら、アドリブでこの歌詞にしようとか、
先を考えるようになり、それからやっと少し舞台が楽しめる様になりました。
今でもこの失敗の経験を思い出して、初心を忘れない様にしています(笑)

私の歌声には、母と父が愛した沖縄がそのまま息づいています。
情け歌『ナークニー』の独唱がTV放送されたのも、父の支えがあったからです。
父への感謝を込めて作った『そばの歌』は、私のために朝早く起きて料理を作ってくれた父の愛情へのアンサーソングです。
その当時一緒に稽古に通っていたメンバーも温かくて、
師匠は昨年病気で亡くなられたのですが、面白かったやり取りが今も心に残っています。

琉球民謡伝統協会会長新﨑先生の最後の弟子 沖縄で3年稽古
また、初めてのオリジナル曲『泡盛祝唄』が在タイ日本大使公邸で歌うまでに広がったのも、
無名時代から応援してくださる物産展の専務や、琉球村の頃から変わらず応援してくださるファンの皆様、
一緒に楽曲を作ってくれる仕事仲間、演奏を盛り上げてくれる演者奏者の皆さん、
関大の校友様、友人や家族含め、本当に多くのご縁と支えに恵まれたおかげです。

泡盛祝唄(出産して感動して生まれた歌、泡盛が熟成して20年古酒になったら子どもと乾杯したい)
◼️…今後の目標を教えてください。
憧れたコピーライターの夢は『作詞』として、
カウンセラーの夢は『心を癒やす歌声』として、最高の形で叶っています。
何より、私の歌で母が笑顔を見せてくれたり、
父も母を愛し、子どもも歌が好き……そんな笑顔が私の宝物です。
最近では沖縄名物ポーク卵のお店『福助の玉子焼き』のテーマソングなども担当させていただき、皆さんが喜んでくださるのが本当に幸せです。

また、先日は台湾にも歌いに行き、歌の心は共通だと感じました。
これからも沖縄の美しい自然やメロディを大切に、
「どんな環境でも何歳でも夢は叶うんだよ」というメッセージとともに、
夏海真希の歌声を沖縄三線に乗せて、皆さんのもとへ届けていきたいです。

沖縄物産展ライブ

