たなか ともみ

田中 智美

大阪市出身。
小学校時代をベネズエラで過ごす。高校時代にはアメリカへ留学。
神戸市外国語大学 外国語学部 国際関係学科卒業。
バベル翻訳大学院修了。翻訳修士。
共訳書に以下。
「方丈記」(鴨長明)英訳
「日本瞥見記」(小泉八雲)英訳
「遊びスイッチオン!」(スチュアートブラウン)日本語訳

翻訳歴20年以上。
有限会社T‘sネットワーク 代表取締役
結水荘(ゆうみそう)オーナー
神戸市在住。

youmeso.ts-network.co.jp

お茶室プロジェクト

【2】

◆…最初にされたお仕事は何でしたか?

最初から起業するよりも、
社会の経験を積んだ方がいいと思って会社勤めをしました。

最初は翻訳とは関係のないお仕事をしていたのですが、
会社の中で、海外に行く人がいたり、海外からお客様が来たりで、
通訳や翻訳の仕事をするようになってきました。
いわば、英語係のような役割でした。

そろそろ翻訳に本腰を入れようっていうことで、退社して、
社内翻訳という形で、マニュアルの多言語展開に携わりました。

私は英訳がほとんどですが、
スペイン語も解るので、スペイン語も手がけました。

いつの間にか
フランス語もできるでしょう、イタリア語も読めるでしょうと、広がっていきました。

◆…追加で勉強したのですか?

フランス語やイタリア語については、大学でも少しやっていたし、
スペイン語に似ているので大体できるかなという具合でした。
ほかに、ロシア語、トルコ語も手がけました。

通訳としても、英語をメインでしているのですが、
実は*今週は、中米 ホンジュラスの方の通訳をしているので
ずっとスペイン語で話しています。

*対談は5月末

◆…それは、田中さんの強みですね。

辞められたら困るということで、
結婚出産で契約が打ち切られることなく続けられました。

その後、独立をしたのですが、
10年以上そのお仕事をさせてもらいました。
周りが思うほど、在宅勤務は楽ではないですが、
恵まれた環境の中で、子育てと両立させながら仕事ができたと思います。

そのクライアントさんとの仕事が終わる少し前に
「結水荘(ゆうみそう)をオープンすることになりました。

2014年(オープン)でしたので、もうすぐ10年ですね。

◆…「結水荘」は、どんなところですか?

昭和建築の日本家屋です。

2階の3室は、シェアハウスとして貸し出しています。
1階には、洋室(12畳)、和室(18畳)そして、キッチン付きの食堂(14畳)があります。

こちらは、今のところは貸しスペースとして運営していて、
定期的に教室やお稽古の場所としてご利用いただくほか、
イベントやパーティー、発表会等の利用、撮影やウェディングでも使っていただいています。

◆…「結水荘」の運営をしようと思ったのは何がきっかけだったのでしょうか?

いろんな人が来て、いろんな和の体験をしていける場所ができたらいいなという
漠然とした構想があったんですね。

通訳案内士として外国の方を案内する中で、
使いやすくて、和の体験ができるところが欲しい、
ゲストの細かいご要望に応じていきたいと思っていた時にこの建物に出会いました。

昭和の空気をよく残した、とても凝って作られた建物だったので、
このまま潰してしまうのはもったいないな、維持をしていきたいなと思いました。

めぐりあわせでしたね。

◆…着物もご自身で着付けなさるんですね。

着物も日本の大事な文化のひとつです。
着物自体を作る技術もですけれども、
着物を着てるからこそ生まれる所作もあります。

うちの祖母は所作に厳しい人だったのですが、
日本にずっといて、それしか見てないと
言われて嫌だなっていうイメージしかなかったと思います。

でも海外から日本を見つめてみると、
和室に合った所作が必要だなと感じます。

和室が素敵だったら尚更そう思いますよね。

◆…日本の文化を繋いでいきたいと思うのは、海外を見てきたからでしょうか?

そうだと思います。

海外を知っているからこそ、
日本の文化をもっと大事にした方がいい、
継承していきたいという気持ちをずっと変わらずに持っているのだと思います。

今、「結水荘」の庭に新たにお茶室を作るプロジェクトをスタートさせています。

お茶室は、日本建築のすべてがぎゅっと圧縮されたようなものなので、
それを自ら建てることで、それぞれに日本の自然や文化とは何か、感じてもらえたらと思っています。

それに、自分たちで建てたお茶室なら、
お茶席に親しみがなくて、ハードルが高く感じられる方にも、
茶室としての使い方でなく、
たとえば、バーベキューの休憩スペースとかに使っちゃってもいいですしね(笑)。

そんな気軽な使い方をきっかけに、
日本建築に触れてもらう場所になればいいなと考えています。

◆…これも日本の文化を発信するひとつの形ですね?

発信基地みたいになったら嬉しいですね。

今回は、結水荘単独ではなく、
森と人とをつなごうという活動をされている人と組んでやるんです。

日本建築は、木造ですけれど、
森で木を育てて、それを運んできて家を建てます。
今、木材を使わないから放置されていて
国内では木が余ってる状態なんですね。

木は1本と育つのに50年かかるので、
ずっと放置したままだと後になって日本の木が必要になった時に
間に合わないことが起こります。
今から少しでも意識を向けてもらうためのプロジェクトでもあります。

どうしても日本文化のなかには、「一見さんお断り」というような
特別感を出すところが多いですよね。
(あれはどうしてなのか?私自身追求したいところもあります)

でも私自身はそれをする理由がないので、逆に強みにして、
日本の文化と縁遠い人たちと、真髄のところにいる人たちを結びつけるような
活動になったらいいなと思います。

◆…橋渡しの活動がさらに広がっていきますね。

橋渡し、架け橋が自分の役割だと思います。

翻訳家は、外国語から母国語に一方向の翻訳をするのが一般的です。
双方向をやる人はそんなには多くないみたいです。

受け取るだけじゃなく、発信もしていきたいです。

私は、お仕事の一環として国際会議の事務局の仕事もしています。

英語でやりとりする会議ですし
皆さんが無事に会議に没頭できるように
自分のレベルを高めていって、
行間を皆さんにちゃんと伝わるようにしたいと思っています。

いろんな国の大臣級の方もいらっしゃったりするので、
言葉だけ伝えればいいということはありません。
国同士の繊細な問題があったりするので、失礼があってもいけません。

ここは、英語が正しく訳せててもダメなんですね。
しっかりと橋渡し、架け橋をしていきたい部分です。

関わっている会議の一つに防災の会議がありますが、
防災の中ではよく「resilient(レジリエント・柔軟性があるさま)」ということばが出てきます。

これからの時代、いろんな変化も起きてくると思うけれど、
それに対応できる人こそが生き残っていけると思います。

固ければ、打たれると折れてしまうけれど、
打たれてもふわっとかわす
しなやかさを持って歩んでいきたいと考えています。

(了)
インタビュアー:鶴岡 慶子
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