• 片貝煙火工業

    新潟県

江戸時代から続く奉納煙火の文化を受け継ぎながら、
越後・片貝の地で、四尺玉という唯一無二の挑戦を重ねてきた片貝煙火工業。
その花火は「大きさ」だけで語られるものではなく、
地域とともに在り続けるための覚悟と、試行錯誤の積み重ねでもありました。

安全を最優先にした独自の製法と、奉納者の思いに向き合う姿勢は、
「大きさ」だけでは測れない、花火づくりの哲学を物語っています。

人の節目と祈りを託す奉納の行為として受け継がれ、
人と人をつなぎ続けてきた片貝まつり。
人口減少という現実に直面しながらも、
片貝煙火工業は、花火を通してこの土地と未来をつなごうとしています。

花火は一瞬で消える。
けれど、その一瞬が人の記憶に残り、地域の物語となって積み重なっていく。

片貝煙火工業 三代目 本田和憲氏に聞きました。

本田 和憲氏(右)

ルーツ

花火屋の家に生まれたわけではなかった

Q……..花火との出会いを教えてください。

本田:

「片貝まつり(浅原神社秋季例大祭奉納大煙火)」の歴史は、江戸時代まで遡ります。
約400年の歴史を持ち、「山の片貝」と称される越後三大花火の一つです。

企業や団体だけではなく、
個人の「成人祝い」「結婚祝い」「還暦祝い」「亡くなった方への追悼」など、
地域の人々がそれぞれの思いを込めて、浅原神社に奉納します。

実は私は、生まれたとき、花火屋の孫でも、せがれでもありませんでした。
祖父は祭りの主催者側の人間で、父はサラリーマンです。

生まれは小千谷市ですが、父が転勤族だったため、
物心ついたときは千葉県柏市にいました。
幼稚園の年長から中学一年生までの約七年半は、大阪府豊中市で暮らしています。

花火屋の孫になったのは、小学校高学年の頃でした。

当時、片貝町にあった黒崎煙火店さんが、
工場の移転や後継者問題を理由に、廃業することになります。

花火がなくなれば、祭りそのものが廃れてしまう。
地元に花火メーカーを残さなければならない――そうした局面で、祖父は大きな決断をしました。

黒崎煙火店の工場と従業員をそのまま引き取り、
片貝町で新たに会社を立ち上げたのです。
今振り返っても、かなり覚悟のいる判断だったと思います。

昭和59年(1984年)、初めて四尺玉に挑戦しました。
模擬玉の試験打ち揚げには成功しましたが、
本番では筒の中で開いてしまい、失敗に終わります。

翌年の昭和60年(1985年)
完璧な高さには届かなかったものの、成功と判断されました。

昭和61年(1986年)以降は、毎年四尺玉を2発ずつ打ち揚げています。

そして令和7年(2025年)
世界一四尺玉(黄金すだれ小割浮模様)の成功から、40年という節目を迎えました。

技と仕事

支えられて打ち揚げる「世界一」四尺玉

Q……..四尺玉は、特別な作り方があるのですか。

本田:

作る過程では、通常は半球の玉皮に火薬(星、割薬)を詰めて、上から紙を貼っていきますが、
三尺玉や四尺玉は、作り方が違います。

四尺玉は、紙を貼るのに約一年かかります。
約80kgもの火薬を入れた状態で一年間貼り続けるのは、相当なリスクになります。
湿気を呼ぶこともあるし、万が一、不慮の事故が起きれば危険です。
だから、火薬を入れる作業は最終工程にしているのです。

丸い穴をくり抜き、そこから火薬を入れて、最後にその部分に蓋をする。
確かに、最初から火薬を入れて張り込めば、もっと綺麗な丸になるかもしれません。
でも、私たちはそこを求めていません。

大事にしているのは、完成形だけでなく、製作途中も含めて安全であること。
そして、確実に打ち揚げることです。

筒の内径と玉の大きさの隙間、いわゆるクリアランスも非常に重要です。
この隙間がなさすぎると、筒の中で破裂してしまうこともある。
本当に、微妙な加減の世界です。

大きさは、筒の内寸が四尺です。
『世界一四尺玉片貝煙火工業』の商標登録を取っています。
一方で、ギネスの記録としては約60インチ(五尺玉相当)が存在し、
「世界一じゃないじゃん」と言われることがあるのも事実です。
ただ、五尺の記録用の玉は、あの年だけのものです。
私たちは、記録のためだけに作っている花火と、鑑賞用として打ち揚げている花火は別だと考えています。

四尺玉は、年に2発打ち揚がります。
一発ずつ種類を変えています。

たとえば「千輪」の四尺玉を作ろうとすると、
外側も紙をたくさん貼らなければならないし、中の小割も同じように紙を貼る。
数もそれなりに入ります。作業は、とにかく大変です。

千輪の四尺玉は驚かれることも多いですが、
積み重ねがあるからこそ、ある意味では安心して打ち揚げられる玉でもあります。
さらに、アイデア次第で、まだいろいろな可能性がある。
そういう意味でも、千輪は好きな玉ですね。

なお、打ち揚げの仕組み自体は、小さい花火も、大きい花火も同じです。
筒の中に打ち揚げ用の火薬が入っていて、点火すると、その火薬が燃えて発生するガスで導火線にも点火する。
メカニズムは、サイズが違っても変わりません。

「片貝煙火工業=四尺玉」という印象を持っている人も多いと思います。
四尺玉は地元にとってシンボリックな存在であり、売りものではないんです。
地元の方々に支えていただいて、四尺玉にチャレンジさせてもらっているという気持ちです。

挑戦と誇り

量と創造のあいだで

Q……..社長にとって、花火師としての「誇り」とは何でしょうか?

本田:

花火は、特殊な仕事だと思うんです。
花火を作っているだけではなくて、電気屋さんみたいなこともするし、工事現場の土建屋さんみたいなこともします。
時にはパソコンとにらめっこして、プログラムを作ったりもします。

いろんな要素が、全部入っている仕事なんですよね。

それで、自分がやった仕事で、一気に大勢の人が喜んでくれる。
ちょっとアイドル歌手みたいな面もあると思います。

しかも、僕らは“物を作る人間”なのに、作ったものが残りません。
作ったものを壊して、その現象を見て喜んでもらう。
不思議な製造業だな、といつも思います。

だからこそ、突き詰めていくと面白い業界です。
いろんなことにチャレンジできるし、他の業種とは違う楽しさがあります。

Q……..挑戦、という点ではいかがでしょうか。

本田:

片貝まつりは奉納煙火です。
一発一発に奉納者がいますから、私たちは奉納者の皆さんに喜んでもらえるように花火を打ち揚げます。

昔の番付(プログラム)を見ると、
名前のネーミングセンスが本当に素晴らしい。
うちは「冠(かむろ)」の系統を大柳火(だいりゅうか)と呼んでいますが、
炭火色の太い尾を引いて、下までずっと枝垂れてくる花火は、
地域の人にも喜ばれるし、根強いファンがいます。

「片貝で花火を揚げるなら、大柳火にしてね」そう言ってくれる人もいます。
だから、ここは片貝の花火のルーツであり、原点でもあると思っています。
大事にしていきたいところです。

ただ、ニーズがかぶると、見る人は「またこれか」と感じてしまうし、
花火を奉納した本人も、「最初は拍手が多かったのに、自分の花火の時は拍手が少ない」と感じることもある。

同じ題材でも、タイプを変えたり、芯を入れたり、
先で色を変化させたり、目先を変える工夫が必要です。
ただ、量産しながら工夫するのは、簡単ではありません。

さらに、コンクールに向けては、
多重芯や、音楽とのシンクロ花火など、
他と勝負できるものを作っていかなければならない。

数を作らなきゃいけない一方で、
時間をかけて手の込んだものも作る。
この相反する二つを、同時にやらなきゃいけない。
そこが、今の一番の課題です。

Q……..片貝煙火工業の“らしさ”は、どんなところでしょうか。

最近、うちの代名詞的になっているのが、星とハートです。
視認しやすいので、
いい向きで開くと喜んでもらえます。
ただ、玉自体は回転しながら揚がるので、
なかなか観客側を向いてくれない。
コンクールでは、そういうギャンブルを
他の花火屋さんはあまりしないと思うので、
もしかしたら、そこが差別化になっているのかもしれません。

また、「片貝さんの錦冠は、明るくていいね」と言ってもらうことが多いです。
うちは山地で上げることが多いので、下まで星が落ちてくる花火は火災の心配もあるため、
ある程度の高さで火が消えるような工夫が必要です。
そのため、温度を高くすることで燃焼を早くする方向で作ります。
その結果、「錦冠」は明るく感じるのだと思います。

ただ、「銀」は別です。
銀は使う原料が違います。
前身の黒崎煙火店さんは銀が得意だったと聞いていますが、
薬品が変わって、その色がなかなか出せなくなりました。
真っ白というより、生成りに近い銀になっている。
正直、銀は苦労しています。

コンクールは、制約のある中での勝負です。
その中でも、「この玉は、あの会社の花火だよね」と言われたい。

極端な話、会社名を伏せて打ち揚げていても、
「今、片貝さんの花火が上がったね」
そう言ってもらえたら「しめしめ」と思います。

越後の向日葵

花火と未来

この祭りを 次の世代へ

Q……..片貝煙火工業として「これから」をどう見ていますか。

本田:

人口減少の波は、この地域を確実に飲み込んでいます。
このまま何も手を打たなければ、祭りは規模を縮小していくし、四尺玉の打ち揚げも難しくなる。
同級生で花火を揚げる、という文化も、五年後、十年後には、なくなってしまうかもしれません。
いまは花火ショーが主流になって、片貝まつりのように一発一発を奉納する形は、これからもっと少なくなるかもしれません。

片貝まつりには全国から人が来てくれます。
でも、それ以外の季節には、なかなか見向きもされない地域でもある。
だからこそ、一年を通して、この地域を好きになってくれるファンを、もっと増やしたいと思っています。
うちの会社のファンでもいいし、花火そのもののファンでもいい。
そういう人たちに、この地域に興味を持ってもらって、とにかく来てもらう。
そして、ここで時間を過ごしてもらう。

「花火好きなら、片貝に住まなきゃ嘘でしょ」
そう言えるぐらいまで持っていけたら、最高ですね。

この祭りと、この地域を、どうやって“延命”させていくか。
いろんな手を考える中で、花火とどう結びつけられるのか。
今は、そこに取り組んでいるところです。

次の世代をどう育てていくかも、大事なテーマです。
今、子どもは修行に出ていて、花火作りや音楽花火の準備、設営などを中心に学んでいます。

自分自身は、大学を出るタイミングで祖父が亡くなり、
修行に出そびれました。
だからこそ、子どもには外に出て、
いろんなやり方を学んできてほしいと思っています。

うちとは違うやり方を知ることも大事ですし、
帰ってきたときには、修行先でできたネットワークも生きるでしょう。
一緒に仕事をする場面も、出てくるかもしれない。
そういう意味でも、面白い展開になるかもしれないと思っています。

私は、生まれながらの花火屋だったわけではありません。
それでも今は、花火が、この地域と生きる理由そのものだと感じています。

だからここで花火をつくり、花火師として生きていく道を、選び続けている。
それが、今の正直な気持ちです。

そしてもう一つ、はっきりしていることがあります。
今は「四尺玉の片貝煙火工業」ですが、
この先は、「四尺玉だけの会社」ではいられない。

四尺玉以外のところでも、存在感や個性を出していって
「四尺玉の会社」ではなく、「花火の片貝煙火工業」でありたい。

それが、これからの目標です。

花火をつくる人に会いにいく
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有限会社 片貝煙火工業

創 業:1980年  地元片貝の伝統を受け継ぐため黒崎煙火店より煙火製造業務全般を継承

代表者:代表取締役 本田和憲(3代目)

所在地:〒947-0101 新潟県小千谷市片貝町6529-1

TEL:0258-84-2076

FAX:0258-84-3516