• 菊屋小幡花火店

    群馬県

花火は、一瞬の光で夜空を染め、人の心に記憶を刻む“時間の芸術”。
その儚くも力強い美を、百五十年にわたって追い続けてきたのが、群馬県高崎市の 菊屋小幡花火店 です。

明治五年、教壇に立つ初代・小幡忠英が放った一筋の火が、その始まり。
以降、五代にわたり受け継がれた職人の系譜は、「四重芯の小幡」として知られるほど、真円の美しさを極めてきました。

形に残らない花火だからこそ、その一瞬にすべてを懸け、技と心を注ぐ。
人の手でしかつくれない“火の芸術”を守り続ける姿に、静かな情熱が息づいています。
五代目・小幡知明(おばた としあき)氏に、これまでとこれから、そして花火づくりへのこだわりを聞きました。

小幡知明氏(右)

ルーツ

教員から始まった花火屋の系譜、祖母がつないだ家業

Q……..菊屋小幡花火店の経緯について教えてください。

小幡:初代・小幡忠英(おばたちゅうえい)が、現在の群馬県高崎市本郷町で花火の製造を始めたのが、菊屋小幡花火店のはじまりです。
最も古い記録は明治五年に遡りますが、それ以前から花火づくりをしていたと伝えられています。
初代は校長先生を務めながら、教職のかたわらで花火を製造していたそうです。
小幡と松田という二人で始め、「小幡」と「松田」の頭文字を取って“小松流”と名乗っていました。
以来、百五十年以上にわたって技が受け継がれています。

二代目・小幡準(おばたひとし)が大正8年小幡煙火店を設立し、
三代目・小幡啓(おばたたかし)は戦時中に一時休業し、昭和25年に事業を再開しましたが、四十歳という若さで亡くなりました。
しかし、その後も家業が途絶えなかったのは、祖母(三代目の妻・トク)の存在があったからです。
祖母がいたからこそ、伝統が途切れずに受け継がれました。

父であるが四代目・小幡清英(おばたきよひで)は平成5年に菊屋小幡花火店に社名を変え全国に名を轟かせる業績を上げました。

現在は私(五代目・小幡知明(おばたとしあき))が跡を引き継いでいます。

私は小さい頃から工場に出入りしていました。
小学校低学年の頃には職人たちの手の動きを「何をしているんだろう」と眺めていました。
今でも「昔はこうやって作っていた」と思い出す光景がいくつもあります。

中学ではバスケットボール部に入っていましたが、
夏休みには、部活より自然と家業を手伝うようになり、花火の筒を洗うなど、現場の手伝いをしていました。
周囲には なかなか理解されず、夏休み明けに学校へ行くのが気まずかった記憶があります。

高校を卒業してからは、兄や姉に続いていったん県外に出て、別の仕事に就きました。
19歳の夏、手伝いで現場に入ったときに、観客の反応を間近で感じ、鳥肌が立つような経験をしました。
「自分たちはすごいことをやっているんだ」と実感し、それが花火の道に進むきっかけになりました。
今は、姉と兄も群馬に戻り、兄弟三人とも揃って花火の仕事に関わっています。

技と仕事

技に宿る“円”の美しさ

Q……..「四重芯の小幡」として知られる所以や、花火玉づくりに込めている思いをお聞かせください。

小幡:四代目・清英は、菊型花火で難度の高い「四重芯菊」を完成させ、平成12年に内閣総理大臣賞を受賞しました。
その功績により、平成13年「現代の名工」、平成15年には黄綬褒章を受章しています。
「四重芯の小幡」と呼ばれるようになったのは、
“真円を描く花火”をどこまで追求できるかという一点を突き詰めてきたからです。

現在でも先代が築いた「四重芯の小幡」の名に恥じぬよう菊型花火の製造に力を入れています。

挑戦と誇り

眠っていた作品が再び光を放つ

Q……..受賞作「里山の忘れ柿」について教えてください。

小幡:私は父の背中を見ながら、独自の美を探求してきました。
「モノクロームの金華」「天竺牡丹」「輪廻の讃花」の三部作では、
静けさの中に力強さを宿す「復興・希望・栄華」の意味を持たせた花火を目指しました。

そして2018年、大曲の花火で「里山の忘れ柿」が評価され、
父と私の親子二代で内閣総理大臣賞を受賞することができました。

前年2017年にはすべての部門で入賞し、自分たちの作品に力がついてきた実感がありました。
ちょうど新しい工場を完成させ環境が整ったことも、追い風になったのかもしれません。

実は、「里山の忘れ柿」は、受賞する3年前にすでに発表していた作品です。
最初の評価は高くなく、お蔵入りしていました。
そんな時、ある先輩に「あれ、もう一度やってみたら?」と言われて挑戦した結果でした。

花火と未来

“追求すること”に価値がある

Q……..これからの花火、そして花火師の未来をどのように考えていますか。

小幡:花火は、一度にたくさんの人に見てもらえる最高のエンターテインメントであり、一発の光で何万人もの心に同時に届きます。
空気や風、自然までもが息づく――その“ゆらぎ”こそが、人の手から生まれる最大の表現方法です。

近年はドローンショーのように精密な光の演出も見られますが、花火には計算しきれない“遊び”があります。

そして花火は、消えていくものです。
夜空に咲いて、すぐに消える。その儚さこそが、花火の本質といえます。
その一瞬のために、私たちは火薬と向き合い続けています。

今の世の中は、危険を排除しすぎる傾向があります。
もちろん安全は前提ですが、危うさをすべて取り除いてしまえば、新しいものは生まれません。
私たちは安全の中に安住するのではなく、人の感情を動かす花火を、これからも追求していきたいと思います。

一方で、経営とのせめぎ合いは、常にあります。
材料費や人件費、打ち揚げ会場までの輸送コスト――数字だけを見れば、効率的にこなす方が経営としては正解でしょう。

作品としての完成度を追い求めるほど、採算が合わなくなることもあります。
それでも、花火は数字だけでは測れません。
目先の利益よりも、一本一本をどう仕上げるか。
そこに妥協をしてしまえば、花火師としての誇りが失われてしまいます。

経営者としての判断と、職人としての感覚。
その間で、常にバランスを取りながら仕事をしています。
最終的に目指すのは、お客様に確かな価値を届けることです。

花火づくりにおいて大切なのは、数字では測れない価値をどう守り、次へつなげていくか。
それが私たちの責任であり、業界全体としても忘れてはならない姿勢だと考えています。

花火をつくる人に会いにいく
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有限会社 菊屋小幡花火店

創 業:明治5年 (1872年)

代表者:代表取締役 小幡 知明(としあき) (5代目)

所在地:〒370-3334 群馬県高崎市本郷町1370

TEL:027-343-6867

FAX:027-371-7142