• 前編

こだま かずえ

児玉 一枝

秋田市生まれ。
秋田北高校、秋田県立衛生看護学院、三楽病院附属助産師学院を経て助産師。
2006年 武蔵野大学 通信教育部, 人間関係学部, 人間関係学科 心理学専攻を卒業。
2013年3月 日本赤十字秋田看護大学 大学院, 看護学研究科修士課程, 助産学分野修了。
2014年10月 日本看護学会 急性期看護 優秀発表賞 受賞。
現在は日本赤十字東北看護大学 看護学部看護学科 母性看護学、大学院 助産学教員。

日本赤十字秋田看護大学 看護学部看護学科

児玉一枝さん【助産師】

076 子どもの頃の写真屋の店番、揺れた進路、実習での葛藤。“大変ついで”に進んだ助産師の道で出会った命の重みと、震災支援で目にした母の力強さ。今、そのすべてが教育者としての力になっている。

【1】

◼️…子どもの頃から、看護の道を目指していましたか?

小学校や中学校のときから看護師になりたいと思っていたわけではありません。

実家は写真館で、家と一緒になっているお店と、少し離れた別の場所にもうひとつお店があった時期もありました。
店が忙しいのでお休みもほとんどなくて、家族みんな働くのが当たり前の環境でした。

小学校の頃は、店番をするのが本当に当たり前でした。
学校から帰ってきてお店が閉まっていると、自分で鍵を開けお店を開けて、営業しながら親が帰ってくるのを待つこともありました。
写真の現像をお願いに来る人、カメラにフィルムを入れて欲しいという人もいました。

子どもなのに一連の店の業務を一生懸命やっていました。
今じゃ考えられないですよね、子どもが店番しているなんて。
めちゃめちゃ「昭和」ですね(笑)

そんな子ども時代を過ごして、お店を継ぐと思っていたので、看護師を目指すなんて考えていなかったです。
お店は今、妹と父が営んでいます。

◼️…進路をどのように考えて選んでいったのでしょうか?

お店を継ぐと思っていたので、商業高校に行ったらいいのかなと思っていました。
模試もずっと、商業高校に対応したものを受けていたんです。

でも、中学3年の担任の先生に
「高校を卒業後、先の学校で何か勉強したい気持ちが少しでもあるなら、普通高校も考えたらどうか」と言われたんですね。
そこで少し考えて、普通高校に行くことにしました。

高校生活を送る中で「資格を取ったほうがいい」と思うようになりました。
資格のある仕事は何か?と考えたら、理学療法士や看護師が思い浮かんで、両方受験しました。

理学療法士に少し興味があったのは、叔父がその仕事だったからです。
仕事の話を聞いて興味を持ったのですが、その頃、秋田には理学療法の学校がありませんでした。
県外で数も限られていたので、たくさん受けに行くことができませんでした。

結局、地元の看護学校に進みました。

◼️…看護師として学ぶ中で、助産師を志す気持ちはどのように生まれてきたのでしょうか?

看護学校は三年間で、ずっと自宅から通っていました。
身体や病気、看護の勉強のほかに、病院での実習があります。

勉強自体はそんなに嫌いじゃなかったのですが、病院での実習がとにかく大変でした。
受け持ちの患者さんの看護をどうするか考えるのです。

それこそ時代は昭和から平成の初め頃で、
実習は勉強というよりは、働きながら経験を積んで学んでいるような感覚でした。
実習先の病棟で緊張しながらの日々が、とても大変でした。

看護学生は、朝に担当の看護師さんに「今日一日、どんな目標で何をするか」ということを発表するのですが、これが毎日とても緊張しました。
そのドキドキが終わったら、とにかく体を動かすという感じでした。

朝はまず “環境整備” から始まります。
患者さんのお部屋の床頭台の上やベッド周りを全部きれいに拭きます。
患者さんの熱を測りに行ったり、血圧を測りに行ったり、清潔の援助、お茶や食事の配膳、点滴の交換など。
それらを全部やっていたので、とにかく忙しかったのです。

◼️…看護師として学ぶ中で、助産師を志す気持ちはどのように生まれてきたのでしょうか?

体を動かす病棟での実習と、手書きの記録の多さがとにかく大変でした。
「大変だったついでにもう一年、大変を経験すると、もう一つ資格が取れるな」と思って、
助産師の専門学校に一年通うことにしました。
三年で正看護師の資格を取って、東京で助産師の専門学校に行って助産師の資格を取りました。

当時は、助産師にすごく思い入れがあったわけではなかったんです。
保健師と迷ったのですが、臨床で働きたかったので助産師を選びました。

大変ついでに行った助産師になるための学校は、想像以上に大変でした。
一年間で助産師になるための勉強と分娩介助の実習、そして、一年後の国家試験のための勉強があります。
都内に住んでいましたが、東京に住んでいたという自覚がほとんどないような忙しさでした。

助産師学校は、地元から離れたというのもありましたが、
一緒の同級生がすごく魅力的で、楽しかったです。
学校の先生もとても個性的で、いろんな意味で、厳しい関わりを受けることが多かったです。
その中で、自分の言動を強く指摘されたり、思いがけない受け取り方をされることもあって、
「いやあ、私ってそんなに不出来な人間なのかな」と思うような、自分を相当見つめ直す一年でもあったかなと思います。

◼️…助産師の資格を取ったあと、どのように働き始めたのでしょうか?

助産師の資格を取って東京から秋田に戻ってきて、秋田赤十字病院に就職しました。
助産師ではなくて、一般病棟の看護師として働き始めました。

その年は、助産師として入職した同期が複数いて、
すぐ助産師に配属された人もいたのですが、私は看護師としてのスタートだったのです。
お産をやりたい気持ちはありましたが、看護師として働き始めてみたら、勉強することもたくさんありましたし、やりがいも感じました。
五年ぐらい経って「看護師の仕事は楽しいな」と思い始めた頃に、病院の移転とともに助産師への配属に変わりました。

またゼロからのスタートで、大変ではありましたが、助産師として現場に立てるのはやはり嬉しかったです。
秋田赤十字病院は、NICU(新生児集中治療室)のある総合周産期母子医療センターです。
私の助産師としての経験は一気に色濃く、深いものになっていきました。