• 後編

はった まい & はった あすか

八田 舞&八田 飛鳥

【2】

※舞さんにお話を訊きました※

◼️…サラリーマン時代と違うことはどんなことですか?

サラリーマンは、大きな失敗をしたとしても、
企業に属してる限り必ずお給料が支払われるけれど、
起業したら、自分たちが価値を生み続けなければ
、
対価としてお金が入ってこないので、責任が一番違うところです。

資金もなかったので
事業を始めて2年目ぐらいが一番苦労しました。

お客様も少なかったし、固定費がかさんでくると
蓄えているものが少なくなってくる感じが、とても辛かったですね。

◼️…何が転機になったのでしょうか?

最初の2年間は事務所兼倉庫を借りて、
厳選した産地直送の無農薬農作物を仕分けをして、
箱に入れて、
オンラインで注文が入ったらバイク便でお客様に届けていました。

3年目に、もともとある店舗の一部を借りて販売を始めたことが、
一つの転機だったと思います。

間借りしていたお店をスタートさせた時

そして、今から2年前に独立店舗を持ったんですね。

現在もオンラインで注文を受け、毎日デリー首都圏へ配達しています。

さらに、店舗内にキッチンを作り、
自社で加工したお惣菜やお弁当もお届けできるようになりました。
また、店舗内にイートインスペースがあるので、
HASORAこだわりのサラダや丼もの、お寿司なども店内で提供しています。

◼️…店舗を持つことは当初から目標としてありましたか?

いずれは持ちたいと思っていました。

最初の頃のお客さまは日本人中心でした。
駐在員の方やそのご家族、
現地の会社で働いている日本人の方がほとんどでした。

現在はインド人のお客様も増え、全体の約3割を占めるようになっています。

劇的に変化するインドマーケットで、
より多くのインド人の方に必要とされる商品やサービスを提供していきたいと考えています。

ファーム訪問時 ランチタイム

 

◼️…間借りしていた時とは変わりましたか?

独立店舗を持つようになって、その時を振り返ると
(間借りしていた店舗の時は)店舗経営をしていなかったなと感じています。

お店のドアを開ける時、
お客さまは自分たちの商品を買いに来た人かもしれないし、
他のお店のお客さまかもしれない。

それが自分たちのお店になると、
ドアを開けた瞬間から自分たちの商品を買いに来てくれた人なんですよね。

お客様に常に来てもらえるお店づくりや、商品作りの難しさ、やりがいは以前と違いますね。
その責任の重みが全く違うと思います。

◼️…「食」に注目したのはどうしてでしょうか?

祖父母も両親も山梨出身で畑と田んぼをやっていたので
私たちは、安全で新鮮な採れたての野菜や、お米を食べながら育ててもらいました。

自分たちの原点に「食べることは生きること」という感覚が根付いていたのだと思います。

30歳になった時に、
自分達が今まで祖父母や両親にもらってきたものを、
社会や周りの人達に
そろそろ返していかなければいけない時期にきたと思ったんですね。

私達がインドに住み始めた頃は、食環境がまだ十分に整っておらず、
食べる事だけで精一杯という人が多い国でした。
安全な食への意識がまだ低かった時期でした。

私たちの周りの方も、
どこで安心できる新鮮な食材を買ったらいいかわからないとよく話していました。


安心して食べられる食が手に入らない事が大きな問題なのではないかと思いました。
一方で、生産農家には、インドの従来の流通では公平に取引ができないという深刻な問題がある。

そこで生産者と消費者の双方の問題を解決できるように、
安心安全な有機農作物を産地直送で届ける事業を始めようと思ったんです。

有機野菜農場への訪問

◼️…実際にはどんなステップで進めていったのですか?

最初は有機農家を探すところから始めました。
知識が豊富で、情熱があり、一緒にやっていけそうな方を探しました。

当時、インドにもすでに有機農業をしている人たちはいて、皆無ではありませんでした。
有機作物を売るイベントや展示会が少しずつ開催されるような時期でした。

私たちは何度もそのような場に足を運び、
「こういうことをやりたいけれど私たちに売ってくれないか」と片っ端から声をかけました。

また、販売先を探している有機農家がいるという情報を得て、
どういうものを、どのように栽培しているかを実際に何度も見にいきました。


そして、情熱があり信頼できそうな農家を探し、
農作物を産地直送で届けるオンラインのサービスからスタートしました。

◼️…インドは国土が広いので、有機農家に足を運ぶのは大変だったのではないですか?

バスや電車を乗り継いで畑を訪問していました。

他の州に行く場合は、寝台列車で10時間かけて行ったりもしました。

移動に時間がかかりますし、
公共のバスは乗車率が高いので椅子に座れないこともあり
訪問は容易ではありませんでしたが、その分やりがいもありました。

最初の1、2年はずっとそんなことをしていました。

◼️…インドの物流環境はいかがですか?

インドの物流環境はまだ未整備で農作物の輸送は簡単ではありません。

特に最初は輸送量が少なかったので、
自社でトラックが用意できず、公共のバスを利用し運搬していました。

近場であれば、農家さんが車やバイクで運んできてくれましたが、
遠い場合はバスに乗せて、私たちがバス停に受け取りに行っていました。

バスが荷を下ろさずに次のバス停に行ってしまったり、
途中で輸送中の農作物がなくなってしまったこともありました。

列車で輸送されるマンゴーの箱

◼️…始めた頃と変わってきたことはありますか?

私たちがいるグルガオンは衣食住の環境が劇的に変化しています。
都市部であれば不便に感じることはほとんどなくなってきています。

10年前、安心して食べられるものが手に入りにくく、
どこで買えば良いか分からないという状況の中で私たちは創業しました。

農村部の生産者は
苦労して有機農作物を作っても売り先がないという問題を抱えている人が多かったので、
直接取引をして、適切な対価を支払い、
安心安全な新鮮な農作物を都会に住む、
それを必要とした人に届けることから始めました。

コロナ禍のロックダウン(都市封鎖)を境に、
インド人の健康に対する意識も大きく変わってきました。

安心して食べられる食を求める人が増え、
スタートアップ企業でオーガニック食品を販売する会社が次々と登場しました。

安心・安全な食が手に入るようになった中で、私たちも変化に対応し、
日本人としての強みを発揮し、
価値を生み出し続けなければならないと強く感じています。

◼️…どんな価値を生み出していきたいですか?

私たちは「食を通してその人の可能性を最大化させる」という理念を掲げています。


今、インドでは、日本食ブームの波がきています。

日本食はヘルシーというイメージがあり、
健康思考の高まりに伴い、日本食が注目されています。
また、インドでもアニメファンが増えてきて、
日本の文化や食に興味を持つ若者が増えています。

そんな中で、私たちはHASORAの理念を掲げながら、
変化するインドマーケットに柔軟に対応し、
常に先見の目を持って日本人としての価値を出していくことが大事だと考えています。

インドにはなかった「健康な日本食」の体験を提供したいと考えています。

◼️…これからどんな展開を考えていますか?

インド国内ではまだまだ良質な日本の食材が手に入りにくいので、
お味噌や、納豆などの発酵食品も自社で生産して、
インド国内で販売していくことも考えています。


また、今は自社商品のラインアップが少ないので、
今後は、インド国内に生産拠点を設け、自社商品を充実させて、
それをインドから他の国にも届けたいと考えています。

まずは日本で販売を開始したいですね。

アメリカに留学した時に、
世界には経済格差があり、
生まれた国や生まれた地域によって
機会が限られてしまう人達もいることを知って、
そういった不平等や不公平な世界を変えるようなことがしたいと思っていました。

世界を少しでも変えたい、より良くしたいという思いで、私たちは今インドにいますが、
これからはインド発で日本やさらに世界中とつながりながら、
食を通じて私たちの思いを実現していきたいと考えています。

HASORA チーム

人生のステキに会いにいく
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