あおやぎ みどり
青柳 美どり
【2】
◼️…株式会社アサを立ち上げる決断に至った背景を教えてください。
一番大きいのは、祖母のような在り方で、
小さな人たちの命の成長を心から喜べたら、
生き生きと生きる人が、もっと増えるんじゃないかと思ったことです。
祖母は、命が育つことそのものを、当たり前ではなく、ありがたいものとして受け取っていました。
毎朝、朝日が昇ることを喜び、出会いを慈しみ、「生きている」ということを、静かに祝福している人でした。
そんな空気の中で育つ人が増えたら、世界はもう少し、やさしくなるんじゃないか。
それが、私の原点にあります。

もうひとつ、どうしても無視できなかったのが、子どもの自死に関するニュースでした。
ニュースでそうした報道を目にするたび、正直に言って、耐えられなかったんです。
教育や、生まれてくるということは、本来、幸せに生きるためにあるはずなのに。
なぜ、こんなにも苦しさの中で命を手放してしまう子どもがいるのだろう、と。
日本は、身体的な健康度では高い評価を受けている一方で、
精神的な幸福度は決して高くありません。
その現実を前にして、「生き生きと生きる」という言葉すら、空虚に聞こえてしまう瞬間がありました。
それでも、だからこそ私は、「幸せに生きる人と共にある」ということを、徹底的にやりたいと思ったんです。
誰かの命が育つことを、心から喜ぶ。
誰かが生きていることを、無条件に祝福する。
「命を育てるって、こんなにも幸せなことなんだよ」
そんな空気を、少しでも社会に手渡す一助になりたい。
そう思ったとき、個人としてではなく、より多くの人と関われる形として、株式会社というかたちを選びました。
株式会社アサは、命を育てることの喜びを、 日常の中に取り戻していくための場所です。

◼️…教育に関心を持つようになったのは、どんなきっかけですか?
私はもともと、「母になる自分」をまったく想像していませんでした。
ヒステリックに怒る母親にはなりたくない。
では、子どもにとって、どんな環境を用意すればいいのか。
そこから、学び始めました。
調べていくうちに、
日本の教育が、軍国主義的な一斉教育の延長線上にあることを知りました。
このままでは、日本は行き詰まる。
そう本気で思ったことが、ひとつのきっかけです。
そんなとき、以前、美術館で見た「レッジョ・エミリア教育」の展覧会を思い出しました。
自分の子どもの環境に、レッジョ・エミリア・アプローチのような考え方を取り入れられたらいいのではないか、と。
レッジョ・エミリア・アプローチは、イタリア発祥の「子ども中心の探究型教育」です。
子どもの「100の可能性」を引き出すことを目指し、
興味に基づくプロジェクト学習や自由な表現、ドキュメンテーション(記録と共有)を通して、自立性や協調性、創造性を育んでいきます。
美術館で教育を扱うことを不思議に思う方もいるかもしれませんが、そこには、深い哲学があります。
子どもが小学校に上がるタイミングで、改めて学び直そうと決め、
慶應義塾大学で鑑賞教育、発達心理、対話について学びました。
子どもは、教えられる存在ではありません。
世界を理解し、意味づけていく主体です。
それは「教育」というより、「共に育つ=共育」なのだと感じました。

◼️…基礎、基本についてはどう考えますか?
基礎、基本って何でしょうか。
丸や三角が描けたら基礎なのか。
デッサンができたら基礎なのか。
私は、
表現をしたい、という内発的動機を折らないことのほうが大切だと考えています。
必要になったときに、方法を学べばいいと思っています。

日本では、作らせること、成果を出すことに重きが置かれがちです。
でも本来は、見る → 感じる → 対話する → 考える。そのプロセスが必要だと、強く感じています。
問いは、子ども自身から立ち上がる。
大人は、伴走者であって、答えを与える存在ではありません。
だから私は、「今日はこれを作ります」「こうしなさい」という指示を、意図的にしません。
たとえば、紙を切りたいとき。
どんなふうに切りたいのか。
ギザギザに切りたいのか、
手で破ったように切りたいのか、
それとも定規できちんと切りたいのか、
曲線をハサミで切りたいのか。
湧き上がった気持ちに対して、「どんな切り方があるのか」を調べ、学んでいきます。
私は、先に生きている分、知識があるので、
ハサミがあるよ、カッターがあるよ、ダンボールカッターがあるよ、ギザギザカッターがあるよ、
例えば、水をつければ手で切れるんだよ、と提案はします。
でも、自分の表現に、どのやり方が最もふさわしいのかを選ぶのは、本人です。
教えるという名のもとに押しつけるようなことは、彼らの表現を折ってしまう。
私は、それをしたくありません。
「このラボが生きがいみたいです」と、お子さんの様子を親御さんから聞くと、やっていてよかったと思います。
◼️…今後の展望をどう考えていますか。
よく予測不可能な*VUCAの時代と言われますよね。
今はそれすらも過ぎて、
BANI(Brittle, Anxious, Non-linear, Incomprehensible)や、
RUPT(Rapid、Unpredictable、Paradoxical、Tangled)、
TUNA(Turbulen、Uncertain、Novel、Ambiguous)とも言われる。
でも、そういう状況の中だからこそ、
どんな環境にあっても、自分自身の幸せを自分でつくれる人が必要だと思っています。
そういう子どもたちを、一人でも増やしたい。
ユニセフの幸福度調査でも、
日本は健康面では上位ですが、精神的幸福度は最下位です。
幸せだと感じられていない子どもたちがいます。
*VUCA(ブーカ)=Volatility(変動性) Uncertainty(不確実性) Complexity(複雑性) Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取った言葉
私は、小さい頃の幸せな記憶が、その人の人生を長く支えると思っています。
たくさん遊んだ記憶、大事にされた記憶、寄り添われた記憶。
それは、20代になっても、40代になっても、60代になっても、
その人を内側から支え続けるものです。
生成AIが台頭してくる時代で、世界は論理や法則に寄りがちです。
その中で、これからも価値として残っていくのは、
言語化されていない部分を感じ取る力だと思っています。
自分の心が動いたところから問いを感じ取り、その問いを構造的に考え、
自分が社会を構成する大事な一人なんだ、という認識のもとで、
自分なりのリーダーシップを発揮し、何かを動かそうとできること。
そんなエネルギーを持った人が、もっと増えていくといいと思っています。
それは、世界の大きな流れとは違うかもしれない。
でも、他者と異なる視点を自分が持っていることを恐れず、
トライし、挑戦していける人を、一人でも増やしたい。
そして、そういうことを面白がれる人たちと一緒に、
次世代の教育を、共につくっていきたいと思っています。


