• 前編

はた みき

羽田 未希

千葉市出身。神田外語大学外国語学部英米語学科卒業。
1994年、日本マクドナルド(株)入社、延べ800名を超える部下、パート・アルバイトと一緒に店舗で働き、人材育成に力を注ぐ。
2002年、英国サンドイッチチェーン、プレタ・マンジェの日本法人立ち上げメンバーとして参加。英国での研修を受けた後、日本第1号店の店長を務める。
2011年、はた社会保険労務士事務所設立。17年間の飲食業現場経験を持つ、異色の女性社会保険労務士。
飲食業・小売業などサービス業を得意とする。
パート・アルバイト活用、人材育成のコンサルティング、労使トラブルを未然に防ぐ就業規則作成など、中小企業の人材活用のサポートを行なう。
また、セミナー講師としても活動している。

はた社会保険労務士事務所

羽田未希さん【社会保険労務士】

#077 初めての海外が “ひとりでアメリカ横断”。そこで身についたのは「やったことがなくても、まず動けばなんとかなる」という度胸。ロンドンでの研修も、社労士資格の取得も、そして開業も──その精神が背中を押してくれた。

【1】

◼️…どんな子ども時代でしたか?

私は千葉市若葉区──都会すぎず、程よく田舎という感じの場所で育ちました。
自宅の裏が工場のような場所で、資材や鉄骨が置かれていて、その周りでよく遊んでいました。
空き地も多く、シャベルを持って行って穴を掘り、上から大きな段ボールをかぶせて “秘密基地” を作って遊んでいました。

小学校ではミニバス(バスケットボール)をして、
町内会のバドミントンサークルにも入っていました。
中学校ではバレーボール部に入部。
バスケット → バドミントン → バレー → 高校で少し陸上 → 大学でテニス、と、やりたいスポーツを“つまみ食い”するような感じでした。
スポーツは好きな方だったと思います。

勉強は、嫌いでもなければ、ものすごく好きというわけでもなく…(笑)。
その中で英語は得意で、大学進学も英語や国際系を志望しました。
自宅から近かったこともあり、神田外語大学 英米語学科を選びました。

◼️…学生時代はどのように過ごしていましたか?

サークルではテニスをしていました。
私は初心者で入ったので、どちらかというと “練習は気が向いたとき、飲み会は皆勤” という不真面目な部員でした(笑)。

勉強はそれなりに頑張っていて、特に米国政治を担当していた高杉先生の授業に惹かれていました。
神田外語大学には当時、卒業に向けたゼミがなかったのですが、
高杉先生が “ゼミ形式でやりましょう” と授業を進めてくださり、そのつながりは今も続いています。

大学卒業式ゼミ4人組(一番右)

◼️…初めての海外旅行がアメリカ横断だったそうですね?

大学3年のとき、初めての海外旅行で、一人旅!
いきなりアメリカ横断の現地集合・現地解散ツアーに参加しました。
ニューヨーク集合、ロサンゼルス解散。
ニューオーリンズなどを通って東から西へ1か月かけて横断するコースでした。

参加者は、ドイツやニュージーランドなど各国から、カップル・友達・一人参加など様々でした。

最初は “何を言っているのかわからない” 状態で、日本での英語学習の限界を痛感しました。
でも1か月いると英語耳になってきて、だんだん理解できるようになりました。

この経験で、度胸がつきました。
「やったことがなくても、飛び込めばなんとかなる」という感覚は、このとき身についたものだと思います。

◼️…印象的な一人旅は他にもありますか?

卒業時、友達は「ドイツの古城ロマンチック街道に行きたい」と盛り上がっていたんですが、
私はどうしてもエジプトに行きたくて、これまた一人旅をしました。

イスラム文化のなかで、人が “生きることに貪欲” であることを強く感じました。
子どもたちが小さなラクダの人形を売ってきたり、貧しい人が「バクシーシ(恵んで)」と手を差し出してきたり…。
日本では見たことのない光景で、「世界ってこうなんだ」と深く考えさせられました。

卒業後は一人でタイにも行きました。
言葉がまったくわからなかったので現地ガイドを一対一でお願いし、挨拶と数字だけは覚えていきました。
数字がわかると、現地の人とトランプができるんです(笑)。
お店での値段交渉できて、コミュニケーションが面白かったです。

2005-02-03ベトナム旅行

◼️…どんな仕事を目指して就職活動をしましたか?

就職氷河期で、就職はかなり厳しい時代でした。
動き回るのが好きなので、事務職ではなく総合職の営業を志望しました。

そして、もともと独立心が強く「いつかは社長になりたい」と思っていたので、経営を学べる環境で働きたいと考えていました。

当時の日本マクドナルドの社長・藤田田さんは「日本一高い給料を払う」と宣言し、経営の書籍も多く出版していました。
一店舗で “億” を売り上げ、人を雇い、現場を回す──その縮図を学べると思い、日本マクドナルドに就職しました。

◼️…日本マクドナルドに入社してからは、どんなキャリアを歩まれましたか?

当時、新卒のほとんどはまず店舗配属でした。
「店のことが分からないと本社の仕事はできない」という文化で、
マネージャートレーニー→セカンドアシスタント→ファーストアシスタント→店長
と段階を踏みます。

店長になるまで約5年。
7時オープン〜23時営業の店から24時間店舗まで、千葉・東京のさまざまな店舗を経験しました。

その中で、プレタ・マンジェの立ち上げにも関わりました。
「英語が話せる店舗スタッフ募集」という社内公募が出て、手を挙げたところ営業スタッフとして4人に選ばれました。

◼️…ロンドンでの研修は、どんなものでしたか?

私たちの使命は、プレタ・マンジェの企業文化や商品へのこだわりを日本に持ち帰り、広めることでした。
4人はそれぞれ別店舗に2か月間配属。
イギリスは英語のアクセントも多様で、アメリカ英語を学んだ私はここでも打ちのめされました。

帰国後、日比谷シティの日本一号店の店長を任されました。
ヘルシー路線・無添加・高品質の分、価格帯はサンドイッチ2つで500〜600円。
デフレ真っ只中の日本では時期が早く、2年ほどでクローズしました。

その後マクドナルドに戻り、結婚・出産を経て産休・育休へ入りました。

◼️…産休・育休の制度は、当時どうでしたか?

産前産後休業は、産前42日・産後56日、その後1年の育児休業。
年次有給休暇も併用して早めに休ませてもらい、とても助かりました。

復帰後は時短勤務で1日5〜6時間。
最初は最寄りの店舗で 店長待遇で戻りました。
制度も運用もかなり配慮してもらえたと思います。

2010-09マクドナルド勤務時代(前列左)