• 後編

うさみ なおみ

宇佐美 直美

【2】

◼️…「むぎの音」はどんなパン屋さんですか?

毎日食べても飽きのこないパン屋です。

ご飯は毎日食べても飽きないですよね。
パンも同じように「主食」として安心して食べてもらえるように、シンプルだけど奥行きがあるものを目指しています。
特別な日にだけ食べるのではなく、日常の食卓に自然に並ぶもの。
そういう存在になりたいと思っています。

噛むほどに小麦の甘みが出て、食べ疲れしないように、砂糖や塩の使用はほんの少しにとどめています。
砂糖は天然のきび糖、塩は沖縄シママースの天然塩を使っています。
油にも気をつかっています。
バターをたっぷり使うともちろん美味しいのですが、やはりカロリーが気になります。
だから私はオレイン酸が豊富で、コレステロールゼロの100%純正の植物オイルを使うようにしています。
そうすることで、バターの使用を控えて、カロリーもぐっと抑えることができるんです。

生地には卵やショートニングなどの副原料は、ほとんど使っていません。
卵を入れれば生地がつやつやと輝きますし、
ショートニングやマーガリンを使えば「さくっ」とか「パリッ」とした食感を出すこともできます。
もちろんそれはそれで魅力ですが、あえて使わないんです。
飾りや演出に頼らなくても、小麦や天然酵母の持つ力で十分おいしいパンはできます。
毎日食べるパンだからこそ、できるだけシンプルで、できるだけ健康的でありたい――それが私のこだわりです。

そして今、最も注目しているのは全粒粉です。
表皮や胚芽までまるごと挽いた粉は、風味と栄養が行き届いています。
白い小麦粉に比べると扱いが難しいですが、あえて全粒粉を使うことで、麦そのものの味わいが前に出ます。
これが「ご飯のように飽きのこないパン」に近づける秘訣だと思っています。

まるパン

◼️…発酵へのこだわりについても教えてください。

ゆっくり ゆっくり発酵させます。
急ぐとパンの旨みが出ないし、逆に長すぎると生地が弱ってしまう。
各々のパンのベストなタイミングに合わせて時間管理しています。

また、発酵は温度管理がすごく大事です。
気温が高すぎれば傷みますし、低ければ発酵が進まない。
その日の天候や粉の状態を見極めて調整するので、最終的には感覚を頼りにします。
特に全粒粉は水分を吸いやすく、同じ配合でも日によって生地の表情が変わります。
なので毎日パン生地と対話するように、「今日は酵母がどんな顔をしているか」を確かめながら仕込んでいます。

ちなみに当店一番人気の「あずきパン」のベストな発酵時間は
72時間です。
ベストな発酵時間で作ると、生地が一番元気で、旨みを最大限 引き出せます。

あずきパン

◼️…素材については、どんなこだわりがありますか?

私は全粒粉と天然酵母に強くこだわっています。
最初に全粒粉100%のパンを焼いたのは、お客さんからのリクエストがきっかけでした。
その方は糖尿病で「白いパンは控えなさい」「全粒粉のパンならいい」と栄養指導を受けたとのことでした。

実際に作ってみると、とても意味があると感じました。

全粒粉は血糖値の上がり方が緩やかです。
私自身、血糖値を測る機械で実際に試してみたことがあるのですが、確かに違いがありました。
それで「全粒粉はもっと広めたい」と強く思うようになりました。

扱いは難しいけれど、健康に寄り添えて、毎日食べても安心できるパンになる。
そこが一番の魅力だと感じています。

◼️…それは「飽きのこないパン」ともつながりますね。

そうなんです。

ご飯が毎日食べられるのは、栄養と味のバランスがいいからです。

実は、全粒粉には「フィチン酸」という成分が含まれていて、そのままではミネラルの吸収を妨げることがあります。
せっかく全粒粉のパンを食べても、とってももったいない。

そこで欠かせないのが天然酵母です。
天然酵母で時間をかけて発酵させると、
このフィチン酸が分解されて体にやさしいパンになることが、食品科学の研究でも確かめられています。

たとえば*農学系の論文では、サワードウ発酵(天然酵母+乳酸菌を含む長時間発酵)によって
小麦中のフィチン酸が約70〜90%も減少し、マグネシウムなどのミネラル吸収率が高まることが報告されています。
つまり 天然酵母を使うとほどんどのフィチン酸を分解できるのです。
こうした科学的な裏付けを知ると、自分が大切にしている方法にますます確信が持てます。

なので私は、全粒粉と天然酵母をセットで考えています。
天然酵母は発酵に時間がかかります。
時間をかけてじっくり育てるのですが、その時間こそが旨みを引き出すんです。

市販のイーストで作れば早く仕上がりますが、
天然酵母はゆっくりと粉の甘みや香りを引き出して、奥行きのある味わいにしてくれます。
しかも全粒粉と組み合わせることで、栄養面でも風味の面でもお互いを引き立てる。
まさに「最強の組み合わせ」だと思っています。
この組み合わせによって、滋味深くて体にすっと入る、日々の食卓に馴染むパンになるんです。

*参考資料
Leenhardt F, et al. Moderate decrease of pH by sourdough fermentation is sufficient to reduce phytate content of whole wheat flour through endogenous phytase activity. J Agric Food Chem. 2005;53(1):98–102.
Lopez HW, et al. Prolonged fermentation of whole wheat sourdough reduces phytate level and increases soluble magnesium. Food Chem. 2001;72(1):5–9.
Rizzello CG, et al. Sourdough fermentation: a tool for the improved nutritional quality of wheat-based foods. Food Microbiol. 2016;37:30–40.

◼️…これまでの経験を経て、人生の軸として大切にしていることは何ですか?

私の軸は「日常を支えるものをつくり続ける」ということです。
特別な日に華やぐものも素敵ですが、私はご飯のように、毎日の暮らしに寄り添える存在でありたい。
だからパンづくりでも、「毎日食べても飽きのこないパン」を追い求めています。

もうひとつは「手を信じる」ということ。
生地の声を手で感じ取れる、その感覚は私の強みだと教えてもらいました。
だから今でも、何をするにもまず手で確かめることを大事にしています。

そして「人に支えられて学ぶ」という姿勢も、私の軸になっています。
母の病気で環境が変わったときも、修行で苦しかったときも、大学でレポートに追われたときも、必ず誰かが支えてくれました。
お店を始めてから20年以上が過ぎましたが、何度も「お店の危機」に直面しました。
「もうだめかもしれない」と思った瞬間に、必ず差し伸べられる手がありました。
そのたびに胸の底から感謝の気持ちが湧き出てきて、続けてこられたんだと思います。

ひとりでやっているようで、実は多くの人に支えられている。
そのことを、何度も何度も実感してきました。

だからこそ、自分も日常の中で人を支える存在でありたいと強く思います。
パンを焼くことも、卓球を続けることも、学びを重ねることも、すべては「日常を豊かにし、誰かを支える」ことにつながっています。
これからもその軸を大切にしながら歩んでいきたいと思っています。

◼️…これから先、どのようなパンを広めていきたいと考えていますか?

やはり全粒粉と天然酵母のパンを、もっと多くの人に知ってもらいたいと思っています。
全粒粉は小麦の表皮や胚芽まで丸ごと挽いた粉で、香りや栄養が豊かです。
ただ扱いが難しく、工夫しなければ食べにくいパンになってしまう。
そこで天然酵母を組み合わせることで、時間をかけてじっくり発酵させ、麦そのものの味わいを引き出します。
天然酵母は全粒粉に含まれるフィチン酸を分解してくれるので、栄養の吸収を妨げません。
この組み合わせは“体にやさしく長く食べられるパン”の理想形だと思っています。

もうひとつ大切にしているのはあずきパンのユニークさです。
あんぱんのように小豆が中に入っているのではなく、生地そのものに小豆が練り込まれている。
だから素材の自然な甘みだけで成り立つ、やわらかな口当たりになるんです。

あずきパンは開業以来、当店の不動の一番人気です。
「家族みんなで食べたい」という声をいただき、
食パンタイプの「あずきパン食パン『奏(かなで)』」もブランド食パンとして生まれました。
一時期は高級食パンブームもありましたが、
私は“売れやすさ”よりも“本当に毎日の食卓に根づくパン”を大事にしたいと考えました。

シンプルで、飽きずに、安心して食べられるパン。それが「私の道」だと思っています。
修行先で出会ったあずきパンの味に惚れ込み、「この味を受け継ぎたい」と思った気持ちは今も変わりません。
これからも**「全粒粉×天然酵母」という王道の組み合わせ**と、あずきパンのような独自の一品。
その両輪を通して「パンは日常を支えるもの」というメッセージを届けていきたいです。

人生のステキに会いにいく
Copyrighted Article. Do not reproduce without permission.

天然酵母と焼きたてパンのお店「むぎの音」

📍 〒010-0063 秋田県秋田市牛島西3丁目1−25−2