たいら ともえ

平 丈恵

宮城県松島生まれ。秋田市在住30年。
1998
年、アトリオン音楽ホールでのコンサートを機に、
クラシックギター、ピアノ、パイプオルガン等と全国各地でコンサートを開催。
海外では、2000年スペイン、2003年イタリア親善演奏で、ソリストとして演奏する。
2003
年オーストラリア国際マンドリンフェスティバルで、
オーケストラのコンサートマスターとして演奏する。
2006
年、ギターの神原順一氏と『デュオ・レジェンダ』を結成し、
童謡からラテン、クラシックなど幅広いジャンルを、秋田を中心に演奏活動する。
2009
年、ドイツ・ハンブルク音楽院 留学生特別コース・マンドリン科修了。
2014
年『マンドリン、ソプラノ、パイプオルガンによる~響きの詩集~』CDリリース。
現在、秋田カルチャースクール講師。平マンドリン教室主宰。
マンドリン音楽祭音楽監督・指揮。
一般社団法人日本マンドリン連盟東北理事。

【1】

Q.マンドリンとの出会いはいつでしょうか?

高校1年生の時ですね。
高校にマンドリンクラブがあったんです。

吹奏楽部出身だったので、楽器をやろうと思ったのですが、
箏のクラブとマンドリンのクラブしかなくて、
お琴は楽器を持って歩くのが大変そうだなと思って(笑)、マンドリンを選びました。

Q.音楽との出会いはもっとさかのぼるんですね。

一番最初は、ピアノです。小学校1年生の時でした。
近所のお姉さんが「エリーゼのために(ベートーベン)」を弾いてるのを聴いて
綺麗な音だな、私もやりたいと思って習い始めたのが楽器との出会いです。

小学校でトランペット隊を結成することになって、
リコーダーが上手だからという理由で 先生が推薦してくれて、
小学5年生の時にトランペットを始めました。

Q.授業でみんな一緒に始めるリコーダーが上手だったのは、他の子と何が違ったのでしょうか?

やっぱり楽器が好きだったんでしょうね。
音を出すことが好きなので、授業とは関係ない曲をよく吹いていました。
耳で聞こえた音楽をコピーして吹いている内に、得意になったのだと思います。

トランペット隊は、運動会や競技大会で先頭で行進します。
毎朝、学校の屋上でトランペットを吹くのが日課でした。
学校が開くと同時に屋上に上がって
登校してくる友だちや先生を見ながら トランペットを吹いていました。

Q.トランペットは音を出すのが難しいと聞きますが、最初から音は出せたのでしょうか?

そうですね、割と早く鳴らせた方だったと思います。
実際の音を鳴らすピストンの部分は3つしかないんですね。
ドレミファソラシドを鳴らそうと思ったら、ほとんど口で操作します。
指を動かさなくても、マウスピース(唇の形と呼吸)だけでドレミファソラシドができる楽器なんです。

中学でもトランペットを続けたかったのですが、
(今はそういうことはないと思いますが)女子は迫力がないから、トランペットはダメだって言われて諦めました。
それで、アルトサックスをやることになったんです。

Q.トランペットと比べてどうでしたか?

腹筋を使うところは似ていますね。
でも演奏の方法はまったく別物でした。

中学校だとコンクールに必ず出るのですが、
アルトサックスって 必ずソロのパートが回ってくるんです。
それがもう、プレッシャーでした。
失敗したらコンクールのメダルの色が違っちゃうから、もう必死でしたね。

Q.いろんな楽器を経験して、いよいよマンドリンと出会うわけですね。今度は弦楽器で、これまた大きく違いますよね。

そうですね。
弦の魅力は、毎日微妙に音が変わるところかなと思っています。
その時の体調や、気分が出る楽器だなと感じました。
もちろん、トランペットもアルトサックスもそうだったのかもしれませんが、
その時は鈍感だったのか、感じなかったんです。

自分の状態が音になる感覚は、弦楽器で初めて感じました。
面白いな、(飽きっぽい性格なので(笑))弦楽器が飽きずに付き合えるかな、と思ってハマってしまいました。

Q.初めはどんな練習をしたのですか?

最初は教則本を渡されて、ちょっと教えてもらって、自分で練習します。
6
月に定期演奏会だったので、先輩達はその演奏会の為に必死に練習しているので、
1
年生は構ってもらえないんですね。
先輩が時々見にきて、オーケーが出たら、次に進むという練習の仕方でした。

最初、指先が痛くなりました。
しっかり押さえないと、ちゃんと音が出ませんから、結構 握力を使うんです。
弦は金属ですし、ズキンズキンズキンと、指先に心臓があるみたいでした。
だんだん皮が厚く硬くなっていって痛くなくなるまで3か月ぐらいかかりました。

私自身は、基礎練習は嫌いではなかったのですが、
その段階でやめてしまう友だちもたくさんいました。

でも、下積み時代を乗り越えてこそ得られる喜びは、確かにありますね。
みんなと合わせて一つの曲ができるのが楽しかったです。