すずき のぞみ

鈴木 のぞみ

神奈川県川崎市生まれ。2歳から秋田県。
短大音楽科時代に行った福祉実習がきっかけで福祉の道に進む。
株式会社グットラックプロデュース 主任ケアマネージャー。社会福祉士。
市民活動団体「おもしぇど・かだればぁ」代表「おむすびごろりん」主催。

【2】

Q.お仕事以外ではどんな活動をしていますか?

ひとつは、市民活動団体「おもしぇど・かだればぁ」*の活動です。

*秋田弁でおもしろいよ・仲間に入ろう, 語ろう の意/通称「おもかだ」

当初は、男性向けのイベントをやっていたのですが、
次第に女性や子供さんからの参加希望やお問い合わせや要望も出てきて、
男女関係なく年齢関係なく、秋田市やその周辺に住む人たちが楽しめる活動もやるようになりま した。

コロナ禍で活動はお休みすることにしたのですが、
お休み期間中に、何かお手伝いさせてもらえませんかと連絡を下さる方がいたんです。

普段だったら遠方にいる家族がお正月とかお盆に来て家のことやってくれたり、
いろんな手続きをしてくれたりするんですが、
コロナ禍で家族が会えない状態が続いて、
ますますお手伝いする人が近くに必要なんだなと思っ たんです。

今は、福祉職も人材不足が問題になっていますし、
仕事柄 独り暮らしのおうちで困ってる人もいっぱい知っていて、
「お手伝いしたい人」と「して欲しい人」を繋げられるのではないか…
そこを繋げればいいだけじゃんと考えて始まったのが
ボランティア・マッチング「おたすけっと」です。

これが現在までの「おもしぇど・かだればぁ」の活動です。

Q.「おもしぇど・かだればぁ」の他にもありますか?

「おむすびごろりん」という活動です。

みんなで集まってご飯を食べるっていうだけなんですけど
私の夫とや友人たち数名でやっていました。
スタートは「おもしぇど・かだればぁ」よりも前からかもしれないです。

集まりたい人が集まっておにぎりと、持ち寄ったおかずやお味噌汁を食べる。
ただこれだけの活動を毎月一回のペースで開催していました。

私の夫は「おむすびごろりん」が大好きで、
やりたくてやりたくて仕方がなかった人でしたが コロナ禍で休止を余儀なくされました。
休止にしてる中で夫が急に亡くなったので、
私はもう「おむすびごろりん」できないと思って、 封印していたんです。

ある時、やっぱり「おむすびごろりん」がやりたいなと思って
誰も来なくてもいいから私一人でもやろうって思っていたら、
当時一緒に「おむすびごろりん」をやってた女の子が
『おむすびごろりん』をやりたいと思っ ている」と声をかけてくれました。

じゃあ、2人でやろうということになったのが去年(2022年)でした。
ただ、コロナ制限下でもあったので、実際に動き出したのはこの7月からです。
隔月で再び始めることにしました。

亡くなった夫の為というものありますが、
それ以上に、自分達がやりたいからやるということで動き始めました。

その空間で昔の話をしたり、折り紙を折ったり、
ある時は 雨降りだから寝ていようかといって、横になっていたりというような ゆるりとした活動です。

障がいがある人も、子どもも、誰でも参加できます。
常連のおじいちゃんおばあちゃんがタクシーに乗って来たりします。
いろんな人が集います。

今は、「おもしぇど・かだればぁ」「おむすびごろりん」
大きくこの二つの活動をしています。

Q.お仕事も忙しいで中で両立は大変ですね。

勤務先の株式会社グットラックプロデュースは、面白い会社で、
ケアマネの部門が「けあまね処グッと楽」*っていうんです。
居酒屋みたいですよね(笑)

*ケアマネどころグッドラック

社長にも仕事外の活動をしていると伝えてあり、
社長も「地域を作る姿が嬉しいし自慢だ」と言って応援してくれています。

「おもしぇど・かだればぁ」のメンバーにはいろんな方がいるのですが、
活動の中で、それぞれが「必要とされる存在でありたい」と思って参加している気がしています。

私たちができることで、必要とされることであればやってみようという気持ち
「模擬葬儀」をやったり、蕎麦打ちをやったりして
それらも「おたすけっと」の活動につながっていきました。

両立させようって必死になっている感覚とは少し違います。

仕事ではない、この活動を私たちがやりたい、
何かやらなきゃって思うこの気持ちは何なんでしょうね(笑)

Q.「おむすびごろりん」が復活してご主人も喜んでいますね。

そうかもしれません。

夫の人柄だと思うのですが、夫が亡くなった際にはたくさんの方が弔問に来てくれました。

私は腑抜け状態で全然頭が回っていませんでした。
夫が亡くなった時はいろんな活動をもうやめようと思ってたのですが、
メンバーが(私が辞めることを)絶対許してくれなかったんです。

私が全く動けなくなった間、メンバーがそれぞれ動いてくれました。
引っ越しもしなくてはならず、私の家の掃除も片付けも全部メンバーがやってくれました。

仕事を続けていく自信も無くなっていました。

仕事で担当している方々にも夫が亡くなったことをちゃんと伝えました。
普段は頑固なおじいちゃんが話を聞いて一緒に泣いてくれたり
一人でご飯食べるのが美味しくなかったら仕事の帰りにここに寄りなさい」とか、
今はつらいだろうけど、自分の寿命がきたら あんたがいなくても こんなに楽しかったよって 言って自慢してやるつもりじゃなきゃ駄目だよ」って言ってくれる人もいました。

何人もの人が温かい言葉をかけてくれて
そんな時はいつも胸がいっぱいになりました。

夫がいなくなった今でも 利用者さんは2人分のお菓子をくれて、
旦那さんにもあげてね」って言ってくれます。

良い仕事に就いたなって思います。
毎日、利用者さんや同僚に支えられています。

Q.今後、どんな活動をしていくのでしょうか?

「おもしぇど・かだればぁ」の活動から派生して
秋田市をはじめ、秋田市以外のところからもいろいろな講師や講話で呼んでいただいています。

福祉とまちづくりって絶対繋がるものだと思います。
私がそこの担い手になりたいなって思うんです。

まちづくりのノウハウや、
「おもしぇど・かだればぁ」の経験を伝えていく講座やワークショップ を開いていく仕事を
福祉に合わせてしていきたいなと考えています。

人と人とを繋ぐ組織を秋田にも作れるといいなと考えています。

Q.SNS(インスタグラム・フェイスブック)では、カメとの写真をよく掲載していますね。

私と夫とカメの取材をしてくれている人がいるんです。
2年ぐらい秋田に来てくれていて、ドキュメンタリー映画を制作してくれています。

夫とも仲の良かった人で、秋田公立美術大学を卒業して
現在は、東京藝術大学大学院で映像を学んでいる人なのですが、
東京藝大のほか、秋田でも上映する計画*もあるようです。

*(時期未定)

その人にとっては、身内以外の死を初めて経験したのが夫だったことで
私が立ち直っていく様子も含めてずっと見つめてくれています。

秋田を離れてからも私のことを心配してくれていました。

私のSNSをチェックしていたら、ある日突然カメが現れて驚いたということで、
さらに、カメと私の関係に興味をもって映画にしたいと言ってくれました。

撮影を通して、人が亡くなるということはこういうことで、
残された私たちが生きていくということはこういうことなんだな
私自身も、言葉にしているうちにいろんなことが整理されてきました。

最初は泣きながら辛い気持ちで取材を受けていたのが
だんだん笑って話せるようになって
夫が亡くなったことも(気持ちの部分でも)整理されていきました。

私が夫のところに行くのは
もうちょっと頑張ってからじゃないと 多分 夫が一番怒っちゃうと思います。
ただ、ぼーっと生きてくのを許してくれない人でしたから。

秋田ってこんなに楽しいよ、
何か面白いことやってる団体があるよ、
のぞみさんに声を掛けたら何か面白いことを教えてくれるよということが
広がっていったら嬉しいなと思います。

(了)
インタビュアー:鶴岡 慶子
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