たけしま のりこ

竹島 仁子

秋田県大館市出身。
日本大学芸術学部卒業。
AKT秋田テレビ アナウンサーを経て現職。
当時の担当番組は「みどりの広場」「久保田民謡国めぐり」など。
現在、秋田県法人会連合会会長。秋田商工会議所女性会会長。

株式会社 料亭 濱乃家
秋田市大町四丁目二番十一号
TEL.018-862-6611
FAX.018-864-5878 

https://www.hamanoya.co.jp/

【2】

Q.出身は、きりたんぽの本場 大館ですか?

高校卒業まで大館で、その後、東京の大学に入りました。
大学卒業後、秋田で就職しました。 

Q.就職先が秋田テレビ(アナウンサー)だったということですが、もともとアナウンサーを目指していたのですか?

しゃべる仕事に就きたかったですね。

わたくしは、三人兄弟の長女で、引っ込み思案な性格でした。
今は誰も信じてくれないのですが、本当に人と交わることが少なかったんです。

小学校6年生の時に教科書で
「こちらは〇〇でございます」というバスガイドのセリフがあって、
それを授業で読んだ時に、拍手喝采が起きたんです。
喋ることで、こんなに拍手もらえるなんて!と思って、
それが自分を変えるきっかけになりました。

高校時代は放送部に所属しました。
大学は日本大学 芸術学部 演劇学科に進みました。
授業で、久米明さん(1924-2020年)が講師だったこともあって、
朗読が面白そうだなと思って、
放送研究会のほかに、朗読研究会にも入りました。
学内には個性的な人がたくさんいましたし、毎日が楽しかったです。

そして卒業後、秋田テレビにご縁をいただきました。

アナウンサーは喋る仕事ですが、 もっといろんな勉強をするべきだったと思います。
思い返すと、知識を蓄えた上で、発信しなければいけなかったなと強く感じます。

結婚後も仕事を続けたい気持ちもありましたが、これも時代ですね。
結婚と同時に退職することになりました。

わたくし自身がやり残したことは、
現在、息子がアナウンサーとして継いでくれています。 

Q.まったく違う世界に入る不安はなかったのでしょうか?

それが、全くなかったんです。

これは性格なのでしょうね。(血液型)B型で、深く考えないのが良かったと思います。

生きていればいろんなことがありますし(実際ありましたが)
「どうにかなる」と思う性格だから 飛び込めたのでしょう。

今は この仕事が生きがいだなと思います。

いろんな方と会って、いろんなことをお話し
いろんなことを吸収して、毎日充実しています。 

Q.まずどんなことから勉強したのでしょうか?

まず、料亭の空気に慣れることですね。

何もしなくてもいいから、とにかく来てほしいと義母に言われて、毎日通いました。
義母がとにかく優しい人だったので、助けられました。

その時、義母とともに従業員のご飯を作ったり、 お漬物を漬けたり、
お座敷のお花を飾ったりしながらゆっくり学んでいきました。

ただ、家族が多かったので、朝から晩まで忙しくしていました。
朝ごはんを食べて片付けをしたと思ったら、お昼の支度をするという毎日です。
だからお友だちとの約束もできませんでしたし、とにかく大変でした。

お茶のお稽古にも、お花のお稽古にも出かけました。
着物の着方も知らなかったので やっと着物を着て、
次の日にまたお茶会があるという時には、 このまま寝ようかと思ったくらい大変でした。
今は20分ぐらいで着付けられますが、本当に大変な思いをしました。

でもそれがあるから今があるんだなと思います。 

Q.いよいよ女将になる時に、どんな気持ちでしたか?

自然になった感じです。
そこは主人が上手に導いてくれたと思います。

子どもたちが大きくなって手がかからなくなった時に
お座敷のご挨拶から始めよう、
礼状を書いてみようという具合に仕事に慣れていきました。

今は、
着物を着て、お店でお客様をお迎えし、皆さまにご挨拶をした後、
お世話になったお客様へのご挨拶でホテルの宴会場に急いで出かけて会合に参加して、
また急いでお店に帰ってきて着物を着て、お客様をお見送りすることもあります。

時間に追われて動き回っています。

いつも頭にあるのは、お座敷のお花と、いらっしゃるお客様のメニューです。

こればかりを考えて生きています。

ただ、10年ぐらい前に 一度入院して手術をしたんです。
それからは、割り切りました。

準備さえしっかりすれば、周りにお任せすることがあってもいいし、
ちゃんとお店が動くのだから、
自分のことをまず大事にしようと思うようになりました。 

Q.お店外の活動も多いのですね。

商工会議所、法人会連合会、ライオンズクラブ、料亭組合、ソロプチミストにも所属しています。
役員をやっていると出張もあります。

出かける準備に、時間も労力もかかりますけれど、これも大切な時間です。
外に出ると、出会いもありますし、人と会うことで、発想が生まれます。
さらに他の地域に行くことで、
その土地ならでは味を感じることが勉強になりますし、リフレッシュにもなります。

他の地域のものをそのまま持ってくることはありませんが、
小物使い、たとえば箸置きやグラスなどを見ながら、
こういう置き方があるのか、こういう使い方があるのかということは 感じます。 

Q.お店のこだわりはどんなところでしょうか?

いかにお客さんを満足させられるかというところでしょうか。

十人十色でいろんなお客様のお食事の仕方がありますから
ニーズを聞いてさしあげることが大切です。

接待のプロがおもてなしをする料亭だというところが
当店の唯一無二なところだと自負しております。

さらに、空間も大事にしています。 料亭は空間の贅沢ですから。

何十年も前の話ですが、
「濱乃家はきりたんぽしかない」とおっしゃったお客様がいました。

それを聞いて、
「きりたんぽがあることがいけないことなのか」
「創作料理をしていくべきなのか」と考えを巡らせたこともあります。
でも、やはり自分のお店の芯なるものは、絶対変えてはいけないと思います。

現代は、何でもありの時代だからこそ、
自分の軸になるものを守っていくべきだ、いきたいと思うのです。

そして、濱乃家には、それがあるのですから、
とても幸せなことだと思います。

この後も 徹底的に味を守る努力をしていきます。 

Q.創業106年になりますが、次の100年をどう考えますか?

世の中の移り変わりとともに
その価値観も変わっていく部分もあるでしょうが、
形を残すためためには、
後進たちに「想い」を丁寧に伝えて、 理解できるようにしていかなくてはいけないと思います。

濱乃家の料理とは何だろうと、いつも考えさせられます。

やはり秋田の郷土料理を正統の形で正しく後世に伝えていく…。
そういう使命があるようにも思います。

そこは、ブレずに今後も続けていくことで、
濱乃家が濱乃家であり続けられるのだと思います。 

(了)
インタビュアー:鶴岡 慶子
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