ささき きょうこ
佐々木 恭子
神奈川県横浜市出身。
早稲田大学第一文学部演劇専修を卒業後、テレビ番組制作会社入社。
バラエティー番組のディレクターを経て、2007年に気象予報士の資格を取 得。
民間気象会社で自治体防災向けや高速道路・国道向け、企業向けの予報など を担当。
現在は予報業務に加えて、気象予報士資格取得スクールや気象予報士向けスキルアップ講座などを主催・講師を務める。
合同会社てんコロ. 代表
日本雪氷学会、日本気象学会会員。
趣味はマラソン。雪結晶撮影。
著書:『天気でわかる四季のくらし』(新日本出版社)など、
監修:『奇跡の瞬間!空の絶景100選』(宝島社)、『NHK学ぼうBOSAI 命を守る防災の知恵』(金の星社)など、
編集協力:『すごすぎる天気の図鑑』(荒木健太郎/KADOKAWA)シリー ズなどがある。
【1】
◼️…もともとマスコミ志望だったのですか?
マスコミ志望というか、ずっとエンターテインメント志望です。
こどもの頃、絶対見る!というテレビ番組もなかったのですが、
学校では、ドリフターズの「8時だョ!全員集合」派と「オレたちひょうきん族」派に分かれていて、
みんなが話題にするので、何となく見ていた感じです。
きっかけになったのは、映画「南極物語」です。
小学校低学年だったと思います。
あの映画は、わんちゃんが死んでいくのが可哀想じゃないですか。
ところが、映画のパンフレットを買ったら、
どうやって撮影したかが書いてあって、
氷と氷に挟まれて沈んでいく犬の場面は、
実はプールで撮影したと知って ほっとすると同時に、
映画って面白いなと思いました。
映画をはじめとして、ドラマや舞台に興味を持ったのは、
それがきっかけだったと思います。
◼️…子どもの頃に映画(ドラマ、舞台)に興味をもつと、演者(出役)に目が行くように思いますが、作り手になりたいと思ったのですか?
「南極物語」がきっかけだったからだと思います。
犬が印象的で、
その犬が舞台裏では助かっていてよかったという気持ちが強かったので、
裏側、作り手側に進もうと思いました。
◼️…それで早稲田の演劇専修を目指すのですね?
もちろん、小学生の時にその大学にその専攻があるなんて知りませんでした。
いろんな進路を考えた時に、
どれもこれも興味がないわけではないけれど、
すごく興味があるわけでもないという具合でした。
ある時は、白衣を着て仕事をする人に憧れました。
文系のくせに理系に憧れていたんですね(笑)
後に、天気の勉強を始めて やっと物理を面白いと思うようになりましたが、
薬剤師や顕微鏡を覗いて何かやってる人はかっこいいなと思っても
理系に行くことは考えませんでした。
その頃は、成績を落とさないために勉強をしていただけでした。
中学を卒業する頃に、早稲田大学に学べる場があると知って、
そこに行きたいなと強く思うようになりました。
やはり演劇専修は他の選択肢よりも突出してる感じでした。
◼️…でも 狭き門ですよね。
もちろん、簡単ではありませんでした。
当時の早稲田大学は、入学時 第一文学部に入っただけで、横並びだったんです。
1年生の成績によって、専攻は2年生の時に決まる仕組みでした。
文学部だけでもものすごい人数なのに、
演劇専修は30人なので、希望通りに進むために”ガリ勉”しました。
大学に入学する時は、みんなしっかり受験勉強しますよね。
だから、入学した後は、勉強する人はあまりいないんです。
周りには頭の良い人が多くて大変だと思ったのですが、
みんな勉強しない…(笑)
その間私は、高校4年生といった感じで、ものすごく勉強しました。
◼️…どんなことを学びましたか?
演劇の歴史や成り立ち、 映画や舞台の歴史、
日本の伝統芸能、たとえば歌舞伎、能、舞踊などを学びました。
網羅的に学ぶ部分と 自分が選択して深く勉強していく部分がありました。
映画が好きで、映画を深掘りするはずだったのですが、
卒業論文では、舞踊を扱いました。
祭事における舞踊の意味と、現代の舞踊療法(ダンスセラピー)の繋がりなどについて研究しました。
◼️…大学時代から 番組制作についてのビジョンはあったのでしょうか?
ほとんどなかったです。
ただ、大学時代に面白い経験をしました。
大学の3年の時はTBSラジオでアルバイトをしたほか、
大学4年の時は、(神奈川県)藤沢のコミュニティーエフエムで
ディレクターのボランティアをしました。
あとは、サークルの夏合宿で演劇コンテストがあったんです。
英会話サークルで合宿中はすべて英語で話す中、
3つの班で演劇を出し物としてやるときに、私はいつも監督です。
脚本、演出、監督をやりました。
◼️…プロになってからどんな番組を手掛けたのでしょうか?
最初は、TBS「ワンダフル」という番組スタッフでした、
東幹久さんと原千晶さんが出演する深夜の生番組でした。
ADの時代は、 ディレクターに「明日まで〇〇を用意しろ」と言われたら、
ADはあっちこっちに電話するし、走り回るし、
先方がお休みだったりすると、休日の問い合わせ窓口を調べたり…。
一旦は出演するといったのに、やっぱり嫌だという一般の方を説得しながら
一体何の仕事をしてるんだ?と思うこともたくさんありました。
いろんなことをするので、忙しいイメージがあると思いますが、
定時で(たとえば9時~17時で)勤務してる方と比べると、
その8時間を24時間にだらりーんと伸ばしたようなところがあります。
ギュッて濃縮できたら短時間で終わる部分もあると思います。
いつもいつも大変っていうわけじゃない…。
もちろん大変な時期もあります。
例えば、ロケ行った後の編集は、3~4日、ずっと徹夜です。
それが大変….というか、そんな仕事でした。
さっきお話した番組「ワンダフル」は深夜の生番組で、
そもそも、その日には放送局から帰れないんです。
タクシーで家に帰ってもいいのですが 自宅は横浜だし、
また次の日に赤坂まで来ることになるので、 着替えをもって放送局に泊まってたんです。
そうやって放送局で転がっていたら(笑)
あの人どうして帰らないの?って
となりの番組のプロデューサーが面白がってくれて
ゴールデン番組に引き抜いてくれたので、
ADを経てディレクターになっていきました。
ADも気が休まらなかったですが、
最終的にちゃんと商品として出せるかどうかは
ディレクターにかかっているので、重い責任がともなう仕事でした。
◼️…ロケでは天気に左右されることも多かったでしょうね。
かなり天気に左右される職業だと思います。
ロケの時に、雨が降らないから今日は大丈夫だと思っていたら
予報がハズレて困ったことが何度もあります。
雨が降ると機材を濡らしちゃいけないので、気を使います。
そこで、 自分で作った予報でロケのスケジュールを立てたり、
場所を考えたりできたらいいな、
今の仕事に役に立つなと思って、気象の勉強を始めました。
勉強したら、気象が面白くなっちゃったんです。
番組制作から離れて、気象の道に進むことを決断しました。