• 前編

なかざわ えり

仲澤 恵梨

秋田県大館市生まれ。
短大卒業後曲げわっぱ工房に就職し、2016年1月伝統工芸士の認定を受ける。
2022年独立し、曲げわっぱ工房E08を立ち上げ現在に至る。


e08.jp

@magewappa_e08

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【1】

◼️…Q.伝統工芸士とはどんな資格ですか?

伝統工芸士は、国家資格で、
地域に伝わる伝統工芸品の産地固有の技術・技法を習得した職人に与えられるものです。
全国各地には多くの伝統工芸品あって、
それを作る職人になるための必須資格は特にないのですが、
優れた技と知識を持つ人に与えられるのが伝統工芸士という称号で、
現在 全国でおよそ3500人*います。

*2024年2月現在


就職する時に「私は伝統工芸士を取りたいです」と宣言していました。

ただ受験するには12年以上の実務経験が必要です。
就職してからもずっと「資格を取りたい」と言い続けました。

◼️…目標が明確にあったんですね。

初めは漠然とした夢でした。

明確なイメージはないけれど、
やるからにはそこを目指しているという強い意志を伝えて
会社(前勤務先)に入れてもらいました。

実は「今 人を募集していない」と言われて3回ぐらい断られていたんです。
作品のフォルムや触った時の質感、そして技術力。
他じゃダメだ、ここで学ぶんだ!って強く思ったので何度も門を叩きました。
最後は渋々入れてもらった感じです(笑)

そして12年経った時に受験して、33歳の時に伝統工芸士になりました。

◼️…曲げわっぱとの出会いはいつでしょうか?

中学1年生の時に、自分のお小遣いで曲げわっぱを買っているんです。
ひとめぼれした曲げわっぱがありました。

玉手箱みたいな形したわっぱで、
心がわしづかみされて
大事なものを入れようと思って買ったんです。

実は今でも持っていて、現在は名刺入れになっています。

今も現役なんですよね。
軽いし丈夫です。

仕事として意識したのは短大の時です。

小さい頃から絵を描いたり、物を作ったりするのが好きでした。
高校時代も、洋服を作ったりご飯を作ったりする時間が好きすぎて
将来の仕事も「何かを作り出す仕事をしたい」と考えていました。

短大は、住居環境科に進みました。
測量をしたり、製図を書いたり、鉄筋を組んだり…。
いろんな実習をする中で、木工の実習が一番楽しく感じたんですね。

◼️…木材の何に惹かれたのでしょうか?

在来工法の実習で、
機械わずに自分の手で掘り出して組み上げていったのですが、
木を自分の思うように加工していくのがすごい楽しかったんですね。

木材使った仕事したい、作り出す仕事と考えたら、
地場産業の曲げわっぱの道に進むことに繋がっていきました。

それまでは地元にいるのに
曲げわっぱが全国に誇れる地元の伝統工芸品だと意識せずに生活していたけれど、
改めてこの良さに気づいたんですね。

◼️…実際にその世界に入ってどう感じましたか?

大変でした。

いつか絶対辞めてやる!って思っていましたが(笑)
辞めるのはいつでもできるけれど、
(辞めるのは)必要とされる人材になってからだと思いました。

(技は)見て覚えろ」という具合で、覚えるしかなかったし、
できて当たり前、できなければ怒られるという世界でした。

最初から同じようにできるわけがないのですが、
できない自分がもどかしい。

めげて辞めちゃう人もいましたが、
私はものを作ることは嫌いじゃなので、
作りたい!絶対できるようになりたい!という思いで必死でした。

(前勤務先の会長から)直接褒められることはなかったのですが、
会長がある取材を受けている時に私のことをすごく褒めてくれていたんです。
それを聞いて、もっと頑張ろう、会社のために頑張ろうと思いました。

社会に出れば大変なことの方が多くて、
自分の思った通りにできないのはどの世界でも同じだと思います。

必要とされる人材になるぞという気持ちが
長く続ける原動力になったかもしれません。

そういう反骨精神ってどの世界でも大事だと思いますね。
頑張るからこそ楽しみに繋がるとも思います。

中学校や小学校で講演をする機会もありますが、
頑張らないと楽しくないよって言っています。
大変な時もあるけど、必ずどこかで何かに生きてくる。
楽しくなるために頑張ろうねって話しています。

何かが起きた時に、
後ろ向きに考えちゃうこともありますが、
結局起きてしまったことは同じなので、
そんな時は楽しいことを考えた方が絶対いいなって思うんです。

だから楽しくなるために頑張るし、
頑張ったら経験値が上がって、
いろんな人の思いを汲み取れるようになる。
結果、優しくなれる気がします。