さとう まちこ
佐藤 真知子
東京生まれ。高校卒業後、単身カナダへ留学。
語学の壁を乗り越えカナダでカレッジを卒業後にホテル業界で働き、その後オーストラリアでワーキングホリデーを経験。
帰国後は外資系企業で営業、人材育成や教育研修に携わる。
現在は東京都内外資系企業のHRBPとして勤務をしながらも、神奈川県茅ヶ崎市を拠点に、ゴスペル音楽を通じた地域コミュニティづくり、人材教育、セルフマネジメント教育に力を入れ活動を広げている。
さとう まちこ
東京生まれ。高校卒業後、単身カナダへ留学。
語学の壁を乗り越えカナダでカレッジを卒業後にホテル業界で働き、その後オーストラリアでワーキングホリデーを経験。
帰国後は外資系企業で営業、人材育成や教育研修に携わる。
現在は東京都内外資系企業のHRBPとして勤務をしながらも、神奈川県茅ヶ崎市を拠点に、ゴスペル音楽を通じた地域コミュニティづくり、人材教育、セルフマネジメント教育に力を入れ活動を広げている。
◼️…WIZ Gospel Choir 12th Anniversary Concert《Stand Up》が近づいてきましたね。
はい、いよいよですね。
2025年5月18日、茅ヶ崎市民文化会館の大ホールで開催される
12周年の記念コンサート、タイトルは《Stand Up》です。
おかげさまでチケットは完売となりました。
本当にありがたいですし、
正直、この速さ(コンサート1ケ月前)での完売には自分たちでもちょっと驚いています(笑)。
私たちのコンサートは、いわゆる“定例公演”っていうものではなくて、“お誕生日会”なんです。
“周年記念コンサート”という位置づけでやっているんですが、
私たちにとっては“お誕生日”なんですね。
『今年もここまで来られたね』って、自分たちを祝う日でもあり、
応援してくださる皆さまへの感謝を込める日でもあります。
12th ANNIVERSARY
最初にやったのは2014年の3月、1歳の誕生日でした。
会場は、楽器屋さんの上にある小さなホールです。
ピアノの発表会で使うような場所で、席数も80名ぐらいのところでした。
そこから毎年、メンバーが増えていって、
2回目、3回目と、小ホールになり、大ホールになっていきました。
大ホールに最初に立った時は、
たまたま小ホールが取れなかっただけなんですけど(笑)、
でもそれが転機になって、
今は茅ヶ崎市民文化会館の大ホールで毎年コンサートを開くようになりました。
◼️…コンサート当日の見どころや演目について教えてください。
今回のコンサート《Stand Up》には、
そんな私たちの12年分の「歩いてきた道」と
「これから進みたい未来」が込められています。
人生の歩みの中で時に立ち止まることもあるけど、
「さぁ、ともに一緒に立ち上がり、前に進もう」と伝えたいんです。
このステージに立つ全員が、
それぞれの想いと人生を持ち寄って、ひとつの歌を届けます。
当日、来場されるみなさんにも、
“心(SOUL)が震える瞬間”が訪れることを願っています。
WIZ Gospel Choirは、単なるゴスペル合唱団じゃなくて、
「WIZを通じて人生を豊かにする場所」でもある。
その姿を、コンサートを通して、
まるごと感じていただけたら嬉しいです。
WIZのメンバーは2つチームに分かれています。
“とにかく楽しもう”っていうエンジョイチームと
より深いところまで学び、チャレンジしていくアクティブチームです。
曲数で言うと、エンジョイチームだけでも13曲くらいを歌い、
全部で20曲の演奏となるコンサートです。
アップテンポで思わず手拍子したくなる曲もありますし、
静かに心に沁みていくバラードもあります。
テーマである《Stand Up》にふさわしく、
“もう一度、立ち上がろう”って、自分自身に、そして聴く方々にエールを贈るような曲たちです。
WIZの“お誕生日”を祝うコンサートですから、
“私たち自身を祝う、そして応援してくれる人たちに感謝する”日を
ともに分かち合いたいと思います。
◼️…コンサートをどのように見てもらいたいですか?
ゴスペルは愛と希望が多く詰まっている歌ではありますが、
実は黒人奴隷時代に生まれ、
悲しみの中に希望を見いだした歌だからこそ、
“悲しみ”にもそっと寄り添える力を持っているんですよね。
だから、ステージを観てくださる方にも、
自分の中の喜びも、悲しみも、
まるごと包み込まれるような感覚を味わってもらいたいと思います。
ただ単に“楽しい” “元気をもらえた”っていうだけじゃなくて、
もっと深いところで、ステージ上のWIZと、客席にいるみなさんの心が、
本当に“共鳴し合う”瞬間が生まれていると私は思っています。
出演者一人一人も、一見、幸せそうに笑って歌っているけれども、
みんなそれぞれ、いろんなドラマを抱えて、苦労を乗り越えて、ステージに立っている人たちです。
お客様もきっと、それぞれに日々の重さを抱えているだろうと思います。
でも、舞台の上の“Choir(クワイア)=聖歌隊” の歌声に心がふれた時、
“ああ、自分もまた一歩進んでみよう”って思える・・・そんな“共鳴”が、あの空間には確かにあるんです。
今回のコンサートのテーマは《Stand Up》です。
コンサートへご来場の皆さまには、
ゴスペル音楽のハーモニーとメッセージを楽しむと共に、
WIZメンバー一人ひとりの人生と力強い言葉と声で届けたいと思っています。
◼️…ご自身は幼い頃から音楽に親しんだのでしょうか?
小さい頃も、テレビの音楽番組とかを見て、
家で真似して歌ったり踊ったりはしていました。
“音楽に親しんできた”っていうほど、きちんと学んでいたわけではなかったし
もちろんゴスペルに興味があったわけではなかったです。
音楽を身近に感じるようになったのは、
実は少し大きくなってから、留学してカナダにいた時なんです。
◼️…カナダへの留学経験があるのですね?
高校卒業後にカナダへ行きました。
その時に、日本の友だちが送ってくれる日本の音楽を、よく家で聴いていました。
当時日本ではカラオケブームだったので、
“今こんな曲が流行ってるんだよ”って録音テープを送ってくれていたんですね。
それを聴いてると、やっぱり歌いたくなるのですが、
カナダでは気軽にカラオケに行けるわけじゃないから
家でひたすら歌っていました(笑)。
そこから、私の中で“歌うこと”が自然と日常になっていったと思います。
◼️…Q:子どもの頃はどのように過ごしていたのでしょうか?
全く何も考えてなかったですね(笑)。
本当に、今思うとどうやって高校時代まで生きてきたんだろう?って
不思議になるぐらい、
毎日その場その場で適当に過ごしていました。
当時の私を知っている人が、
今の私を見たら絶対にびっくりすると思いますよ。
それぐらい、全然違う人生を歩んでいます。
カナダに行って、いろんな出会いや経験があって、
そこでようやく、
自分の人生感とキャラクターが“覚醒”したという感覚があるんです。
◼️…当時から英語や海外に興味があったわけではないんですか?
全然ありませんでした。
高校の3年間、英語は赤点を免れたことがないほど苦手でした。
当時の先生が一番びっくりしたんじゃないかな?
そんな成績なのに、いきなりカナダに行くなんて意味がわからないって(笑)。
実際に行ったというよりは、
親に首根っこつかまれて無理やり送り出されたような感じです。
私自身は日本で何をしていいかも分からずに「うだうだ」していたので、
親が「日本にいても仕方ないからカナダでも行って来なさい」と強引に送り出したのが、運の尽きというか(笑)。
そんな感じでした。
◼️…実際にカナダに到着して、すぐに馴染めましたか?
いや、最初は困りました。
物を買わないとお腹が空くし、銀行に行かないとお金も使えないし、
ランドリーに行かないと洗濯もできないわけで…。
最初に学んだ英語は、美しいものでもなんでもなくて、
本当に生きていくために必要な最低限の言葉だけでした。
お腹が空いたらどうするか、銀行ではどうするか、
そういう切羽詰まった状況で覚えました(笑)。
◼️…カナダでは具体的にどんな生活を送っていたんですか?
最初に語学専門学校に入って、
その後はカレッジに進んで無事に卒業し、
そしてカナダで就職をしました。
学生として3年ほど過ごし、
最後は学校の就職活動プログラムを通して、
ロッキー山脈のふもとにある有名なホテルのフロントデスクで仕事が決まり働きました。
スキー場のすぐ近くだったので、
冬になると世界中からスキーやスノーボードを楽しむ人が訪れました。
私もせっかくだから挑戦してみようとスノーボードを始めました。
当時はまだスノーボードが流行り始めたばかりの頃で、
カナダでも日本でもまだそれほど知られていないスポーツでした。
でも、やってみたらすぐに夢中になってしまって、
従業員特権でリフトパスも無料だったので、毎日のように滑りまくりました(笑)。
◼️…カナダ生活を通じて、自分自身に何か変化を感じましたか?
ものすごくありましたね。
高校時代までの何も考えていなかった私とは、本当に全く違う人生になったと感じます。
最初は興味もなかったカナダ生活でしたが、
実際に行ってみたら不思議と馴染めてしまって、
どんどん自分の世界が広がっていったんです。
私自身が「覚醒した」と言ってもいいくらい、
人生の見え方や考え方がガラリと変わりました。
同じホテルの寮でオーストラリア人のルームメイトがいたんです。
その縁もあってその後オーストラリアに行くことになりました。
◼️…オーストラリアでは、どんな生活を送っていましたか?
オーストラリアでは主に日本食のレストランやホテルで働いていました。
でも、働く目的は明確でした。
それはスキー場のフリーパスをゲットすること(笑)。
それさえ叶えば、仕事の内容は何でもよかったんです。
当時の私は、仕事の内容よりもスノーボードを楽しむことが最優先でした。
オーストラリアには、日本のプロのスキーヤーやスノーボーダーもたくさん来ていました。
日本と季節が逆で、日本が夏のとき向こうは冬なので、
プロの選手たちがトレーニングのために滞在していました。
その中で、そうしたプロの方々がどんなふうに練習を積んでいるのかを間近で見ることができたのはとても興味深かったです。
それを見て私も、「日本に帰ったらスノーボードのインストラクターになろう」と決めて帰国しました。
◼️…日本に帰国して、実際にスノーボードのインストラクターになったのですか?
それが、試験を受けたのですが、
なんと1点差で落ちてしまったんです(涙)。
当時の日本ではまだスノーボードのインストラクターという制度が確立されて間もなかったので、
スキーの検定をそのままスノーボードに当てはめたようなものでした。
それがちょっと合わなかったんですね。
私は元々自由に滑りたいタイプだったので、
そのシステムに合わせて滑ることがどうしても苦手でした。
結局、1年だけ挑戦して、試験を受け続けることはしませんでした。
◼️…次にどのような道を選ばれたのですか?
当時は海外にまた行くつもりで、
日本はお金を稼ぐための場所としか考えていませんでした。
日本に戻ってからは派遣会社に登録して、
ホテルでの配膳などのアルバイトをしながら生活費を稼いでいました。
そうした仕事をしながら情報収集もしていて、
また海外に出るチャンスがあればすぐにでも行こうと思っていました。
でもそんな時期に、ひょんなことから
日本で興味深い仕事をする機会が訪れました。
それがイギリス系の言語教育機関との出会いでした。
◼️…言語教育機関での経験は、ご自身にとってどのような意味がありましたか?
その会社での5年間は、
私にとって非常に大きな意味を持つ期間になりました。
そこでは営業職からスタートしましたが、
その後はトレーナーやカウンセラー、秘書、人事など、本当に幅広く経験させてもらいました。
この期間に、
ポジティブシンキング、
プレゼンテーションスキル、
ファシリテーションスキル、
コーチングなど、
ビジネスに必要なスキルや考え方を徹底的に学びました。
今の私の考え方や活動の基礎を作ったのが、まさにこの会社での経験です。