Kiyoe Parisien

パリジェン聖絵

翻訳家。文学士(英文学・言語学)。
バベル翻訳専門職大学院にて修士を取得(文芸翻訳)。

訳書に
▶︎世界の美しい城 フィリス・G・ジェスティス著(原書房)
▶︎1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365 人物編 デイヴィッド・S・ギダー、ノア・D・オッペンハイム著(文響社)
▶︎ひと箱のマッチ ニコルソン・ベイカー著(近代文藝社)
▶︎列車と愛の物語 アレクザンダー・マコール・スミス著(近代文藝社)
▶︎メサ・ヴェルデのひみつ 古代プエブロ人の岩窟住居 ゲイル・フェイ著(六耀社) などがある。

フォーチュン100企業の英日・日英翻訳にも従事。
バベル翻訳専門職大学院プロフェッサー。
米オレゴン州在住。

 looktranslation.com

【1】

◆…お名前、パリジェンヌみたいですね!

パリジェンヌとかパリジャンとか よく間違えられます(笑) 

私自身は、日本で生まれ育って、日本の大学に入ったのですが、
大学3年生の時にアメリカに留学をして、
その時に夫と出会い、結婚してパリジェン姓になりました。 

◆…子どもの頃からことばに興味があったのでしょうか?

とにかく文字を読むことが好きな子どもでした。

本はもちろん、看板や食べ物のパッケージの裏面など、
文字が書いてあるものは全て読んでいました。

辞書を読むのも好きでした。
時間があって、何か読みたいなという時には、
辞書の最初のページから読んでいました、

◆…それは、どの辺に面白さを感じていたのでしょう?

文字を眺めたり間違いを見つけたりして面白いと思っていたと思います。

本に書いてあることは全部は正しくないんだな…、そんなこと考えていたと思います。
そして国語と英語が好きだったので、日本の大学では英文学科に入りました。

英語を勉強したいと思うと、英文学以外にあまり選択肢がなかったんですね。
ただ、やりたいこととちょっと違う気がして、
アメリカのオレゴン大学に留学をして言語学部に入りました。 

◆…英文学科と言語学科は違いますか?

違いました。 

英文学科では、シェークスピアや詩などの古いイギリス文学作品を読んでいきました。
勿論、英文学を読むとなるとイギリスの歴史や聖書の知識もなくてはいけない…。
英語にも慣れていない段階で、英文学のよさを感じるのは難しかったです。

言語学科では言語そのものを分析していきます。
英語に限らず(世界中の)色々な言語について科学する学問です。
その言語はどういう構成なのか、どの言語にも共通するものは何かなど凄く奥が深いんです。

すっかりハマってしまって、
1年の留学の予定を2年に延長して、アメリカで学位を取得しました。 

◆…留学にあたって、苦労したことはありますか?

まず親に反対されました。

でもどうしても行きたいと思っていたので、アルバイトしてお金を貯めて実現しました。
大変なことはたくさんありましたけれど、必死だったのでしょうね。

留学先は静かに勉強できるところ、なるべく生活費を抑えようと思ったら
(ニューヨークやロサンゼルスのような大都会ではなく)オレゴン州になりました。

◆…オレゴン州での実際の生活はどういうものでしたか?

物凄い田舎でとてもびっくりしました。
飛行機を降り立った時、なんというところに来てしまったんだろうと思いました。
円高の影響で海外に出ている日本人が多い時代だったのですが、
この街に日系企業がある訳でもないし
アジア人は、大学の周りにいるだけでした。

日本の大学でも講義が全部英語だったので、
英語の読み書き、そして聞くことはできていたと思いますが、
やはり話す機会がないので、英語を話すことには自信がなかったですね。

最初の頃は
学校で聞いている英語と街行く人が使ってる英語が違っていて、それはそれは苦労しました。

ただそういう苦労も含めて楽しいと感じていました。

◆…ホームシックはなかったのですか?

それなりにありましたが、
目標を達成してから帰りたいという気持ちを強く持っていたので、必死でした。

◆…翻訳をお仕事にするようになったのは、帰国してからですか?

帰国してからも言語学の勉強を続けたいと強く思いました。
それぐらい言語学の世界が楽しかったんです。

そこで翻訳学校の通信教育をやってみようと思いました。
当時は紙に解答を書いて郵送するというスタイルでした。
初めてみると「これは面白い、いつかこれを職業にしたい」と思いました。
これが翻訳の仕事をするきっかけになりました。

その後ハワイに引っ越して、出版関係の日系企業に就職しました。
編集と翻訳の仕事をすることになるのですが、
これが楽しすぎて、そこからはもう一直線です。

◆…ハワイにもいらしたんですね。

夫も日本で働いていたのですが、ハワイの大学院に行くことになったんです。
すでに子どももいたので一家で移住しました。

◆…ハワイ時代が翻訳の仕事の足がかりになった時代と言えるでしょうか。

そうですね。

それ以前は、口コミで翻訳をすることはあったのですが、
会社で翻訳をするのはその時が初めでした。
うれしくて楽しくて仕方がなかったです。

もっとできるようになりたくて、必死に勉強しました。
学びたくて仕方ないという感じでした。

◆…当初、どんな翻訳を手掛けたのでしょうか?

出版物の編集をする会社だったので、
著者が書いてきた原稿の版下を作る(印刷できる形にする)お仕事だったんです。

英語を和訳したものを出版物にする仕事もあったので、
翻訳を必要とする業務があった時には私が担当しました。
カタログ、フライヤー、産業機械のオペレーションマニュアルなどに携わりました。

◆…翻訳家としてやっていけそうだと思ったのはどんなタイミングでしたか。

その会社で翻訳をしている間に
「自分は翻訳を職業にしたいんだ」という確信みたいなものが芽生えたんです。

その時にちょうど
以前、私が通信教育でお世話になった翻訳学校が
ハワイを拠点にインターネットの大学院を設立したんです。
その当時 インターネットで受講できる学校はなかったですから 革新的でした。

私の住んでいるハワイでの開講ですから、ものすごい巡り合わせですよね。
きちんと学び直したいっていう気持ちもあって、入学しました。

その大学院で学ぶことが、また新たなスタートで、
さらに上を目指すための第一歩でした。

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