みやもと めい

宮本 芽依

東京都町田市出身。
高校時代にはアメリカ、大学時代には中国へ留学。
2023年2月、大学在学中にキャンピングカーデザイン事務所を立ち上げ現在に至る。

 バンライフ社長
@may_miyamoto_
@meimei_official_
@ateliermyvision

【1】

◼️…留学経験があるのですね。

高校時代の留学先はアメリカのミシガン州でした。

交換留学に申し込んだのは、2つ理由があって、
一つは、キャビンアテンダントになりたかったので、
英語が絶対できた方がいいと思ったこと。

もう一つはアメリカの文化に憧れていたことです。
ドラマは「ゴシップガール」が流行っていました。

YouTubeで海外のリアルな様子を見ながら
日常雑貨に英語が書かれているだけですごくオシャレに感じたり、
カラフルでキラキラしている小物を見てときめいたりしました。
チアリーダーをやってみたいと思ったし、
アメリカ人の男の子と付き合えたらいいなって思いました(笑)。

とにかくアメリカの映画とかドラマの中の世界に憧れてましたね。

◼️…実際に生活してみてどうでしたか?

メイクOK、何の洋服を着てもOK。
こんなに自由で生きていいのかと、カルチャーの違いを肌で感じました。

私のホストファミリーは工場で働いている一般家庭でしたが、
ボートや、オープンカーを持っていました。
ある日学校から帰ったらホストマザーが
「今から湖に遊びに行くわよ」と言って、連れ出してくれるんですね。
別に何を準備するわけでもなく、水着だけ持って行って、湖に飛び込んでみたり、
ボートで浮いて夕日の中でリラックスするみたいな時間を過ごすんです。

東京に住んでいた私からしたらありえないことで、
そんな穏やかで、何にも縛られていない日常がありました。

週末には、家族で時間を過ごすことをすごく楽しんでいるのもいいなと思いました。

◼️…学校生活はどうでしたか? 

英語を身につけるために、積極的にいろんな子に話しかけにいくのですが、
英語力もまだまだないから、波長の合う子と仲良くなるのが難しかったです。

家ではホストファミリーとめちゃくちゃいい関係だったのですが、
学校に行くと居場所がない感じが辛くなってきてホームシックにもなりました。

だんだんコミュニケーションをとることに疲れてきていた時に夢を見たんです。
留学生活が半年ほど経った頃です。

日本に帰る夢で、母に「どうして帰ってきたの?後悔しないの?」と夢の中で聞かれたんですね。
目が覚めて「ちゃんと全力で目の前のことに取り組まなきゃ絶対後悔する」と思ったんです。
それ以降は、本当に仲良くなりたい子達と
積極的にコミュニケーションをとるような
自分のペースを取り戻していきました。

気の合う友達と行きたい場所に行けるぐらい仲良くなって、
恋愛話もできるようにもなりました。

高校では、とにかく遊んで学ぼう、
いろんな人と友達になって英語を学ぼうという気持ちだったので、
(これは後悔していることですが)学校の勉強はあまりしませんでした。

高校2年の夏から1年間の留学でした。

◼️…大学でも留学するのですね。 

大学は国際学部 国際学科中国語コースに進んで、中国の上海に留学しました。

旅が大好きで、キャビンアテンダントを目指してもいたので、
英語に続いて、第3言語を学びたいと考えました。

そこで選んだのが中国語でした。

旅先どこ行っても中国人いるので、中国語が話せたら
どこに行っても、楽しい旅になると思ったし、
きっと世界の半分くらいの人と話せるようになるなと思って中国語にしました。

全く違うコミュニティの中で、
日本人として、どうやったら言語を身につけていけるかについては
英語を現地で学ぶ経験があったので、次の言語習得には苦労しませんでした。

◼️…中国への留学はどれぐらいの期間ですか? 

ダブルディグリープログラムというもので、2年間です。
昭和女子大学と上海交通大学の両方の大学を卒業したことになるプログラムでした。


ところが、現地に行って半年でコロナ禍に突入して、
強制帰国になり、残りはオンライン留学でした。

アメリカ時代に勉強をちゃんとしなかったことを後悔したので
今回は勉強ちゃんとやろうと思って目標を立てていました。
1年目はめちゃくちゃ勉強して、
2年目には現地の人たちとたくさん交流しようと決めていたのに、
半年でまさかの終了で、(現地の人と交流しないまま)勉強だけして終わることが残念でなりませんでした。

そして、オンライン授業になるわけですが、
毎日毎日、実家の同じ壁を見ながら
同じ大学の先生の話を聞き、同じ社会の中で生活をすることに息が詰まってきたんです。

もうこれ以上無理だと思った時に閃いたのが、
軽バンをレンタルしてパソコンを積んだら
オンライン授業を受けながら旅ができるんじゃないか?ということでした。

1ヶ月6~7万円くらいで軽バンをレンタルして、
ノートパソコン寝袋
ポータブルバッテリーポケットWIFIを積んで独り旅に出てみたんです。

初めて高速道路に乗り、初めて車中泊もしました。
その時に思ったのが、(大学を)卒業してもこうして旅をしながら過ごしたいということでした。

好きな場所で、朝、太陽の光を浴びながら、
波の音と鳥の声を聞きながら目を覚まして、
そのあと車の中でコーヒーのミルを挽いてコーヒーを入れる。
そのコーヒーカップを持ってビーチまでゆったりと散歩。
時間が来たら車に戻って、パソコンを開いて授業を受ける。
午後は好きな場所に移動して
またパソコン開いて(インターンもオンラインだったので)インターンでちょっとお金を稼ぐ。
夜は、また好きな場所に移動して温泉に入って、
ご飯を食べて、満天の星空を見ながら寝る。

バンで過ごす毎日(バンライフ)最高すぎたので、大学を卒業しても続けたいと思いました。

◼️…オンライン留学をバンライフで実現したことが起業に結びついたのですね。

その生活を続けたいと思って大学卒業しても旅しながら暮らすと決めたのに、
いざ東京に戻ると就職活動のタイミングが始まりました。

あんなに自分の夢を追いかけようと思っていたのに
いざ周りの全員が就職活動をし始めると、
気づいたら自分も(就活)しようと思っちゃいました。

英語と中国語が話せるから貿易会社がいいかな。
貿易会社なら父のビジネスも助けられそうだなどと思っていたら、
大学でお世話になっていた方に
「芽依ちゃんは世界中を旅しながら、自由に生きていくのかと思った」と言われたんです。
その時返す言葉が出てこなくて、ふと我に返りました。

あれ、おかしいな、私、本当は何やりたかったんだっけ?と、立ち止まって考えたら
そうだ、私はああやって毎日自由にいろんなところに行きながら
デジタルの世界でも繋がっていて、帰りたい時に家に帰れるという
日常的に旅をしながら暮らすのが好きだったんだ!
やっぱりバンライフをしたい、と思ったんですね。

もう自分に嘘はつけないと思いました。

これはもうバンライフを自分の車でやるしかない。
バンライフを全力でやってみた先に何か見えるかもしれないと思って、
就職活動を手放して、
クラウドファンディングとアルバイトでお金を貯めて
自分のキャンピングカーを作ってみるところからスタートしました。