まつもと ちとせ

松本 千登世

エディター・ライター。
航空会社勤務、広告代理店勤務、出版社勤務を経てフリーランスに。
雑誌やWEBなどで美容記事やインタビュー記事、
エッセイの執筆、コピーライティングを中心に活動。

『顔は言葉でできている!』(講談社刊)
『結局、丁寧な暮らしが美人を創る。今日も「綺麗」を、ひとつ』(講談社刊)
『ピンクのカラス』(BOOK212刊)ほか著書多数。
出版レーベル『BOOK212』代表。

BOOK212
『BOOK212』オンラインショップ
 @book212matsumotochitose

【1】

◼️…初の絵本「ピンクのカラス」が完成した時、どんな気持ちでしたか? 

すっごく寂しくなりました。
嬉しいことなのに、8割ぐらい寂しい気持ちだったんです。 

◼️…寂しい気持ち?どういうことでしょうか? 

絵本が完成するということは、それまでの濃密な時間がなくなるってことなんですよね。
ずっとずっと大事に抱きしめてきたのに
ポロって手から落ちてしまったような気持ちになりました。

こんな気持ちになるなんて、自分でも少し驚いています。

絵本が完成した直後は、出版記念の展覧会*の準備に入れたので、
展覧会に向けて心を埋めることができましたが
今はそれも終了して、また”ロス気味”になっています。 

*「もしキミの羽がピンクだったら?展」2024/03/28ー04/02 東京・三軒茶屋 

展覧会の様子

◼️…展覧会はいかがでしたか? 

展覧会で皆さんに触れていただいたことで、
私たちの中でいたものが旅立っていったという感覚でした。

絵本が誰かの手に渡って、
たとえば、お母さんから読んでもらったお子さんや、
読んであげるお母さん自身も
その人の気持ちでいろんな世界をその人たちが作っていくこともあるんだなぁと思ったんです。

会期中、紙芝居を2日間行いました。
立体的な紙芝居の形でした。

一人はラジオDJの秀島史香さんに読んでいただいて、
熱烈なファンの方々からは、とてもセクシーなカラスだったと言われました。

もう一人は、私の元同僚で音楽プロデューサー梅澤英一さん
ナレーションと共にが音をつけてくれて 耳で聞く絵の世界を創ってくれました。

作品を立体的に感じてもらう演出として本当に面白い試みだったと思います。

紙芝居制作中

同時に感じたのは、絵本が持つ可能性です。
自分で創ったものなのに全く違うものになっていくこと。
創るということは、広がっていくことなんだなと思いました。

◼️…どんな方に届けたいですか? 

ストーリーが思い浮かんだ時は、12歳~14歳向けかなと思っていました。
自分がどういう性格なのかを少しつかめてくる頃で、
集団の中で自分がどういうポジションにいるのかもわかってくる年代です。 

自由だったはずの自分が我慢やふりを覚えて
迷ったり悩んだりし始める時期の、そういう人に届けたいと思ったのが最初でした。 

でも実際に絵本を創る作業をしていくと(私の中では全然変わらないはずなのに)
「もっと小さい子は色で感じてくれるんじゃないか?」や、
50代の女性が「今(読みたい絵本)だよ」など、
さまざまな声が出てきて、読者を限定する必要はないんだなという気持ちになりました。 

心で読んでくれる全ての人に届けたいと思います。 

◼️…ストーリーができたのはいつ頃ですか? 

8年ぐらい前のことです。

「カラスの羽がピンクだったらもっと愛されるのにね」って言った人がいて、
なんてこと言い出すんだろうと度肝を抜かれたんです。
自分にはない発想でした。

素晴らしいメッセージだと確信したところから
ストーリーはすぐに出来上がったのですが、
エッセイの形がいいのか、
児童文学がいいのか…。

どうやってみんなに伝えるのがいいのかを考えていました。 

◼️…なぜ「絵本」だったのでしょうか。 

色の話であることと
嫌われがち、怖がられがちなカラスという生き物を、
美しいもの、素敵なもの、かっこいいもの、
何より愛すべきものとして表現するには 絵本がいいという考えに至りました。

絵本を作ることついて、実は、特別な気持ちがあったことも思い出しました。

大学時代、私の大好きな絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」の訳者であり、
児童文学の翻訳家、作家、研究科として活躍されていた松岡 享子さんのお話を聞く機会があって、
その時、絵本の翻訳をしたいという夢ができました。

短くシンプルなことばなのに、
英語で聞く話を日本語で深みを出すことの素晴らしさに魅せられました。
絵本に対する気持ちはその頃に芽生えたような気がします。

このストーリーを形にしたい、
形にするなら絵本だろうと思ったら
絵は(グラフィックアーティストの)牧かほりさん*に描いてもらいたいと思いました。 

*牧かほりさん インタビュー記事#27

◼️…牧さんに絵を描いてもらおうと思ったのは なぜですか? 

「絵本」ならば、もっと可愛い絵を想像なさる方が多いのですが、
私自身は(このストーリーの)メッセージが深いと思っていたことと、
色の話でもあり、牧さんの色の鮮やかさ、美しさ、捉え方が大好きなので、
牧さん以外には考えられませんでした。 

また、ただ絵を描いてもらうだけではなく、
心の奥深くで会話ができる人と一緒に創りたいと思ったら、
やっぱり牧さん以外にはいなかったんですね。

私の中では迷いがありませんでした。 

牧さんとは、私が出版社で女性誌の編集者をしていた頃に知り合いました。
20年以上のお付き合いですが、
牧さんが世界を舞台にアーティストとして広く活躍するようになってからは
なかなかお目にかかれなくなっていたので、
がっつり組んでお仕事をするのは、久しぶりでした。 

一昨年(2022年)9月末に開かれた牧さんの展覧会に伺ったんです。
ちゃんと話ができたのは、すごく久しぶりでした。

(絵を描いてもらうのは)牧さんしかいないと思っていたので
断られたらどうしようとプロポーズをするような思いでした。

後から聞いたら、牧さん自身「嬉しいけれど何故私なのか?」という気持ちもあったそうです。

10月頭にお返事をいただいて、そこから絵本創りが始まりました。

完成まで1年半かかりました。 

◼️…どんな作業でしたか? 

ことばの捉え方を二人ですごくキャッチボールをして、
煮詰めたり、手放したり、捉え直したりを繰り返す作業でした。

表面的な文章は全く変わってないのに、
ことばの意味や、表現の強弱みたいなものが
ものすごく熟していく期間だったと思います。 

こういう時間になったのも、牧さんだったからだと思います。

アーティストの方って”絵がうまい人”だと思ってたんですよね。
当然、牧さんも絵がうまいんだけど、
想いを絵に乗せられる 本当に素晴らしい表現者だと改めて感じました。

牧さんの姿を見ながら、表現をするすべての方々へのリスペクトが生まれました。 

◼️…リスペクトの気持ちが出版社立ち上げにも繋がったのでしょうか? 

せっかく牧さんに絵を描いてもらえるのに、
この判型は無理。この紙は使えない。
いいものを創りたいという思いに制約を設けることは絶対に言いたくなかったんですね。
牧さんには、どこまでも自由に絵を描いてもらいたいし、私も思い通りの本を作りたい。

でも、どこの出版社にお願いしようかと考えた時に、
私も牧さんも、まったくコネクションがない状態でした。

紙の値段も高騰していて厳しいなと思っていたところに、
「自分で出版社作っちゃったらいいんじゃない?」言った人がいたんです。

無理!→やれるかな?→やってみてもいいかな?→やろうかな?という具合に
数日の間にどんどん気持ちが変化していって、
気づいたら「ひとり出版社の作り方」の本を読み漁っていました。
そうやって勉強していく内に”できない理由”を消していった感じです。

一昨年(2022年)10月からプロジェクトが始まったのですが、
12月の初めにはもう出版社を作る手続きしていたので、
2ヶ月の間に私はどうやら作ると決めて走り出していたみたいです(笑)

もちろん予算はありますけれど、
何を我慢して、何を絶対に貫くのか、
そのバランスを決めるのも自分だというところにしびれました。

牧さんに自由に描いてもらう、そしてその絵を生かす本を作ること、
私もストーリーを紡いだ者として 本質的でタイムレスなメッセージを自由に伝えられること、
その両方に喜びを感じて出版社を作ることを決めました。