みなみ しほ
南 志保
【2】
◼️…どんなデザインだったのですか?
彼女(中森明菜)が作りたい舞台イメージが書かれたファックスが送られてきて、
そこには、すくいあげる感じ、包み込む感じというようなことばが書かれていました。
みんなは これだけじゃわからないって言ってましたけれど、私には十分だったんです。
私はこれで絵が描ける、デザインができると思いました。
晴れて採用。
デザインが認められた時は、すっごく嬉しかったです。
デザイナーとして彼女に出会える日が来る。
福岡に住んでいながら、時々東京で仕事をしている姿を見てくれていた姉と両親には、
福岡会場の本番を見てもらうことにしました。
デザイン採用から本番までの間、
父の体調の関係で、福岡と東京でやりとりをしながら進めてきて、
いよいよ彼女が初めて(東京で)その舞台に立つゲネプロの日、父が急逝したんです。
私は東京には行かず、福岡で父を見送りました。
東京での舞台の様子について 先輩や社長から連絡が来たと思うのですが、よく覚えていません。
1週間後、福岡にそのツアーが回ってきた時に、初めてデザイナーとして本番を見ました。
父が見てくれるはずだったなと思いながら、その舞台の時間が流れていきました。
◼️…辛い時期でもありましたが、一方で夢が叶う瞬間でもあったわけですね。
ちっちゃい紙に描いた私のデザインが大きな舞台セットになって、
その中に彼女がいて歌っているのが信じられない気持ちでした。
舞台が終わった後、監督が楽屋に連れて行ってくれて、
仕事としての初対面を果たした時、
彼女が「今回のセット、好きです」
そして「今後ともよろしくお願いします」って言ってくれました。
夢って叶うんだなと思いました。
◼️…それだけ一途に追いかけてきた夢だったのですね。
最初の頃は、こういう人と仕事したいなと思うぐらいだったんですけど、
死ぬまでにこの人に会うと決めてからは何も迷わず一直線でした。
きっと神様がここまで願っているんだったら叶えてあげようと思ってくれたのでしょう。
その後、3年間、舞台セットを作らせてもらいました。
幸せな時間でした。
◼️…独立したのはどんなタイミングですか?
牧かほり*との出会いがターニングポイントです。
中森さんとの仕事が離れた頃、10日ほどお休みをいただいて、キューバに一人旅に出かけたんです。
直行便がなく、2回のトランジットがあるのですが、
トランジットするたびに日本人が減っていくんですね。
最後のフライトの時に、元気そうな子がいたんです。
それが(今一緒に仕事をしている)牧かほりとの出会いです。
彼女も一人旅でした。
彼女との出会いが、のちに独立することにつながっていきました。
私の人生を変えた2人目の人物です。
ハバナへ到着し、空港で「いい旅を」と言って分かれるのですが、
旅の途中、3日目ぐらいに、街角でバッタリ会うんですね。
そして、友達になった子の家に行くけど一緒に行く?
今日は音楽聴くけど一緒に行かない?という具合に 3、4日一緒に過ごしました。
彼女はまだ2、3週間キューバにいる予定だったし、
私はニューヨークに立ち寄る予定があったので、
東京でまた会いましょうと言って別れました。
(牧かほりは)その時たまたまそこにいた日本人だったんです。
今思うと、運命の出会いですね。
◼️…牧かほりさんとの最初の仕事は何ですか?
数年後、ある舞台の背景に彼女に絵を描いてもらうことになったんです。
私は会社員で仕事に疲れて、元気がなくなっていた時期だったのですが、
彼女は、絵を持って元気に現れて、
キューバの旅の後も、あっちこっち旅に出ている話を教えてくれました。
それを聞きながら私って何をやっているんだろう?って思ったんですね。
人生、一回だけどひとつじゃないと思うようになりました。
それが独立のきっかけです。
さらに数年後、これも運命的なものを感じますが、
同級生の結婚式でたまたま私が福岡に帰る日と、
牧かほりが初めて福岡で仕事をする日が、同じだったんです。
現地で合流し、語り明かしました。
実は今度個展やるんだけど、手伝って欲しいと言われて 今に至ります。
◼️…作品へのこだわりはどんなところでしょうか?
『作品』ということばが、私には当てはまらない気がします。
作品って、アーティストが生み出すものだと思うし、
そこに対して私はものすごくリスペクトがあります。
(作品を生み出す)アーティストは(職業じゃなくて)生き方。
一方で、デザインは社会と結びついた職業だと思っていて、
そういう意味では
自分が作ったものは『作品』ではないのだろうと思っています。
では、何のためにこの(デザインという)仕事をしているのか?というと、
何か漠としている気もします。
明確にこれを表現したい、こういうものを作りたい。
それをどう表現すれば伝わるかを追求するのとは違う…。
それがわからないからやっているのかもしれません。
こだわりを取っ払うのが、こだわりと言えるのかもしれませんね。
そうやって自分を解き放つことで、自分を見つめ、認めていけるものだとも思っています。
◼️…今、目指すものはどういうものでしょうか?
今、こういう仕事をしたい、というような具体的なものはないです。
何が起こるかわからない状況を楽しんでいるのかもしれません。
中森明菜の仕事をするという目標に向かってまっすぐ進んできて
夢が叶った人生をすでに生きたので、
この後は、それとは違う幸せを感じられる生き方をしたいです。
私たちは「無」で生まれてきて、 生きていく中でいろんなものを身につける。
それは生きていくための皮膚だったり鎧だったりする。
それは「箔」や「経験」「自信」というものかもしれないけれど、
その鎧を脱ぎ捨てられたら、より自由を感じられると思うんですね。
私たちは、目の前で起こる出来事に対して
これができていない、もっとできるはずだと考えてしまうことがありますが、
それって、どこまでも満たされずに ずっと何かを探している状態なんですよね。
そうではなくて、探さず、今ここにいることを身体全体で感じたいです。
いや、もう感じているのかもしれませんが、
もっともっと自分を解き放っていると、
ただ幸せだと感じる時間がもっと長くあると思うのです。